愛とは何か〜知っている人もいるけど、知らない人が多い (マザー・テレサに学ぶ / 愛は巡る) ユーチューブ 「愛の預言・愛とは何か」 キンドル「愛の預言・宇宙の法則 第1集」 愛という言葉 「愛」という言葉はありふれた言葉であり、誰もが知っている言葉です。 しかし、誰もが本当の意味を知ってはいない言葉とも、言わねばなりません。中には「私は知っている」という人もいるだろうし、「愛とは何か?」と問いかける人もいるでしょう。 また、誤解している人もいるでしょうし、きちんと理解している人もいるでしょう。 巷に流れる歌の中にも、この言葉は乱用され、映画や文学のテーマにもしばしばなっており、このようなありふれた言葉であり、かつ重要な言葉である「愛」とはいったい何か? ここでは、この言葉の本当の意味を解き明かして行きます。 誤解している人々 まだ、この世には愛という言葉を誤解している人々がいます。いるどころか、大多数の人々がどうやら誤解しているようです。つまり、愛とは異性に恋することだと。 若い男女がめぐり合い恋に落ちる、これを愛だと思い込んでいる人々が何と多いことか。そのような人々は男と女がセックスすることが愛だと思い込んでいるのです。 ここでハッキリ申し上げねばなりません。愛とは男女の交際のことでも、セックスをすることでもありません。 純粋な男女の交際は結婚相手を探すための過程であるべきであり、不純な交際は単なる欲望であり、結婚前のセックスは姦淫に他なりません。 特に、愛とセックスを混同して誤解して、クリスマスという聖なる日に姦淫する人々が日本には大変多いのが実情です。彼らは神を冒涜していることに気づいていないのです。 本当の愛とはそのようなものではありません。 理解している人々 本当の愛とは慈しみのことです。 家族愛、兄弟姉妹愛、隣人愛、愛国、自然愛、地球愛、宇宙愛のことです。あなたが苦しむ人々を見て、心が苦しいほど彼らを救いたいと思った時、あなたの心には「愛」があるのです。それはどんな人間の中にもあるものです。 そしてそれは一見、薄情な人間の中にもそれは眠っています。 意外に思うかも知れませんが、凶悪な殺人鬼の中にもそれはあるのです。殺人鬼も人間だからです。 人は神に似せて型が作られているのです。その型とはどこにあるのかというと、魂がそれです。どんな人間も魂という生命体なのです。 それにどんな人間も過去生においては必ず、極悪なことをしているものです。なぜなら、大概は戦時下に生まれてきているはずだからです。 地球の歴史は戦争の繰り返しではありませんか。今だって中東ではひどい戦争が続いているでしょう。そのような地球で転生を繰り返していて、誰がひどい環境に生まれることを逃れられるでしょうか? そして人は極端なことをした一方で、苦しみの中から慈しみを学び、それが魂にインプットされているのです。たとえ忘れていても。 こうして培った苦しむ人々を救ってあげたいと思う気持ちが本当の愛なのです。外の人ばかりでなく、家族の人々を思いやる心、内の人ばかりでなく、隣人や道行く人、または外国の人々を助けたいと思う気持ちが愛なのです。 このようなことを理解している人々は近年増えてきています。 マザー・テレサ では慈しみとは具体的にはどういうことを言うのかというと、戦争で苦しむ人々、飢えで苦しむ人々、孤独な老人、孤児、障害者、ホームレス・・・、このような人々を思いやることです。 マザー・テレサはマケドニアという国からインドに渡って、死にかかっている人々を救いました。 当時のインドは差別社会で(現在でもそうですが)路上には飢えで死にかかっている裸の人が大勢いたのです。 彼女はお金も支援者もなく、単独でインドへ渡りました。ひとりの溝に落ちて死にかかっている女性を助けたのがインドに来て最初におこなったことでした。その後、彼女の活動は大きな組織的なものになりましたが、これこそ「愛」の手本です。 考えてみてください。あなたが生まれてから死ぬまでの間に、人の命を一つでも救えるでしょうか? もし日常の生活に忙殺され、会社に行くことだけ考えて生きていたら、一生、誰も救わずに終わることでしょう。 そして、霊界に行く時になって、神の前で何も誇ることのないあなたがいることになるのです。しかし、たった一人でも人の命を救ったなら、あなたは神の前で誇れるものを持つことになるのです。 具体的活動 ここで、「愛とは何か、知っている」と答えた人は、考えてみてください。あなたは具体的に救いの活動をしているでしょうか。 もし、頭で理解しているだけだったら不充分です。 具体的な方法とは、活動すること、または平和や倫理の大切さを言葉で訴えることなどです。他にも、お金を有効に苦しむ人々のために使うとか、礼節をもって生きることですら、愛の一形態なのです。 なぜならお互いを敬することが、社会の摩擦を減らし争いを無くすことになるからです。争いが無くなれば、戦争などで被害をこうむる人もいなくなります。 愛のもうひとつの形 仮に、幼い子がその弟や妹を叩いたとします。 すると親は叩いた子を叱らないでしょうか。叱られた子は泣くかも知れませんが、親は子を愛すればこそ叱るものです。 子が心の優しい人間に育って欲しいからです。親にとっては、叩いた子も叩かれた子も両方とも自分の子で、両方とも愛しているから、叩いた子を叱るのです。(親であっても暴力はいけませんが) ここに暴力者がいるとします。 神はこのような者を放ってはおきません。神は神の時間の観念で、この者を罰するのです。だから悪人は、すぐにではなくても、いつかは必ず滅びるようにできているのです。 しかし、神はただこの者に対し怒り、憎み、罰するのではありません。神はこの者が悔い改めて、やさしさを取り戻して欲しいから、この者に病や苦しみといった罰を与えるのです。ただし、長い時間の後に。 神はその者の自発的な悔い改めを求めているので、ただちに罰したりしません。しばしば、その者の来世にまで、罰を持ち越します。 だから、人は自分がなぜ恵まれないのか、苦しみが多いのか、理解できないで生きているのです。 現在、病に苦しんでいる人、伴侶に恵まれていない人、苦しみが多い人、孤独な人・・・ほとんどの人が何らかの問題を抱えていることでしょう。そ のような人は、神に罰されているのだと理解するべきです。ただし、人為的なもの、つまり、他人によって害をこうむるのは、神の罰ではありません。なぜなら、人間は神の代理を許されていないからです。 苦しみの解除と愛 悪人・・・暴力を振るう人、他人を騙す人、姦淫を犯す人、金や権力をむさぼる人、思いやりを持たない人、自分さえよければ良いと思う人、このような人々は未来に必ず罰を受けることになります。 すぐにではなくても、来世にはひどい土地に生まれることになるでしょう。 ほとんどの、政治家、金持ち、スポーツ選手、音楽家、役者、弁護士、医者、教師、宗教家、その他、社会的地位の高い人々は、これに該当します。 なぜなら、彼らはその地位、金、発言力を本当に平和のために有効に活用していないからです。していないからこそ、世が混乱しているのです。 それに人間とは、地位を持つと思いあがるものです。神はこのような人々に傲慢でいて欲しくないのです。 では、未来と現在の苦しみを解除するにはどうしたら良いか。 神が人を罰するのが愛のためなら、救われることも愛によってしかありえないのです。神はその人が本当の愛を持ったと知ったら、その人を見ても、最小の罰を与えるだけか、あるいは罰を与えずに通り過ぎることでしょう。 だから、愛を持たねばなりません。ただし、それは自分を救うためのものではなく、あくまで苦しむ人のためであるべきです。 神に建て前は通用しません。神は欺瞞を見通してしまいます。本当の愛とは無償のものでなければならないのです。 愛は巡る 愛とは苦しむ人を思いやる慈しみの心のことです。 そして、自分が苦しんでいる時、自分よりもっと苦しんでいる人々を救うことが巡り巡って自分を救うことになるのです。 人体を巡る血液は日々肉体を維持して、病を癒しています。あなたはひと粒の赤血球のようなもので、人類総体が働けば地球上の全ての悲しみを癒すことができるのです。 一人では成しえないことも全体ならできるのです。それもあなたという一人があってこそなのです。 姓名判断・カウンセリング ![]() BACK Copyright (c) 2006 Yasushi All Rights Reserved from2017/10/18
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