性の法則 (神の定めた法則 / 一の法 / 貞節の大切さ) 現代人の性意識 現在、国や宗教によっては差がありますが、主に先進国では男女の交際がかつてより奔放になってきています。 かつて、四、五十年前の人々は交際が固く真面目でした。1950,1960年代の映画を見るとその当時の恋愛観というのがわかります。当時の人々の恋愛事情を聞くと彼らは「男女交際といっても、手を握るのが精一杯だった」と言います。 しかし、1970年頃からヒッピー族と呼ばれる人々が、反戦活動の一環として「戦争をするよりセックスをしている方が遥かに平和なこと」と唱えて性的堕落を公然と良いことだと開き直ってしまったのです。その常識は1980年代に更にひどくなり、90年代には一層ひどくなり、2000年には取り返しのつかない状態にまで人々の性常識は堕ちこんでしまったのです。 現在、地上では真面目な男女交際、神聖な結婚を奨励する、宗教上の厳しい戒めのある国も存在します。しかし、特に先進国であるヨーロッパ、アメリカ、近年のアジア諸国はひどい状態になっています。 ひどい状態 結婚前のセックスを平然とする。特に男性は数多くのセックス相手を持つことが、かっこいいことになっている。 男はいかに早く初体験をするかを自慢し、いかに多くの女を相手にしたかを自慢するようになっている。女はバージンを早く捨てようとしている。同棲をすることや、婚前妊娠が社会的に日常になっている。 以上のようなことを現代人は悪いことだと思っていません。むしろ常識であり、これらを悪いと唱える事の方が恥ずかしい事とされ、そのようなことを唱える者は、嘲笑されるだけです。 売春宿は都会に無数にあり、公的に禁止になっていません。権力者たちも女遊びをしたいからでしょう。その結果、驚くほどの数の女が売春婦に身を堕とし、公然と売られる雑誌には何千人もの売春婦たちが毎月、裸体をさらしています。 年間、延べ何万の数に上るのでしょうか。その様なポルノ誌はごく一般の書店や、コンビニエンス・ストアに並び、子供たちの目に届くところに置いてあります。 準売春婦 世の中にはセックスをしない性的サービスをする店も氾濫しています。 そのような店で働く、風俗嬢と呼ばれる女たちは自分たちが「売春婦」だという認識が無いに違いありません。 もしあったらそのようなところで稼ぐことに抵抗があるでしょう。そもそも、そのような行為をして金を稼ぐことは、「仕事」とは言えないのです。 それは単に「金を稼いでいること」に他なりません。そして、そのような女たちはいわば騙されているのです。直接騙しているのは男どもではありますが、もっと大きく捉えると「世間の風潮」が騙しているといえるのです。 もっと世間が声を大にして身を堕とすことの悲惨さを訴えるべきなのです。彼女らは決して「仕事」をしているわけではなく、喰いものにされているだけなのです。 そのことに気づかせてやらなければ、今の子供たちが未来で身を堕とすことになるのです。彼女らは売春に準じた行為をしているのだから、「準売春婦」などと呼んで蔑む必要があります。行為の恥ずかしさに気づかせるために。 これは人を責めろと言っているのではありません。どんな人も責めるべきではありません。イエスは「人として生まれてきたもので、罪を犯したことのない者はいない」と言いました。果たして我々は人を責めるほど清い存在なのでしょうか。 しかし、男でも女でも罪を重ねることは、してはならないのです。そのために戒めなければならないのです。 ポルノの現状 かつてのポルノ映画といえば、男優と女優が性行為を演じて見せたあくまで芝居だったのです。ところが今のポルノ・ビデオ、AV,DVDは実際にセックスをしているのみならず、レイプ、痴漢、のぞき、幼児虐待などの犯罪行為がそのまま売られているのに、国は何も手を打ちません。時折、わいせつ物陳列罪の摘発がニュースで流れるくらいです。 しかも、ポルノに出る女を「AV女優」と呼んでいます。 「女優」とは演じる者のことです。実際に性行為をして金をもらう者のことは「売春婦」と呼ばねばなりません。男の方も「売春夫」などと呼ぶべきです。 女たちは女優という名目でスカウトされ、女優という大義名分に騙され、売春婦へと堕ちてゆくのです。アメリカでもポルノ・スターなどといって、もてはやしています。しかし、それは騙す側が女たちを騙しやすいから使う用語であり、実際は女優でもスターでもなく売春婦なのです。 もし、「女優になりませんか」と声をかけられたら、まんざらでもない気にもなるでしょうが、「売春しませんか」と言われれば、いやな気分になるでしょう。 だから騙す人間は「女優」という言葉を使うのです。被害者を作らないためには、マスコミがこぞって「AV」とか、「女優」とか「スター」などという言葉を一切使わないことです。一斉に彼女らを「売春婦」と非難するべきです。注意を勧告する意味で。 現在、マスコミ(そこで働く人々は若い人が多い)では、彼女らを有名人扱いしてテレビ出演までさせています。売春婦たちは嬉々として、テレビに出て、有名人気取りで、またそれを観た若者たちは彼女らを有名女優だと勘違いしているのです。そうすると次の犠牲者を出す、温床になってしまうではありませんか。 警察機構 世間の人は法律が施行されると、従順にそれに従う傾向にあります。法を犯して犯罪者になりたくないからです。そして警官たちも単に上司の命令だけで動いているように見えます。 我々は法以上に、倫理で動くべきじゃないでしょうか。その時その時で変わるものではなく、真の正義で動くべきじゃないでしょうか。 ![]() あるニュースで、警官がスカートの中を覗いた男を捕らえる映像を流していました。それも一人の男を取り押さえるのに数人がかりでした。しかも張り込みをして、犯人を捕らえたのです。警官たちは大犯罪者を捕らえたかのような高揚ぶりでした。 確かに犯人はけしからん者ですが、世間では他にも遥かに大きな悪行が大手を振っているではありませんか。 語弊があるかも知れませんが、このような小さな犯人は放っておいてもいいくらいです。なぜ警官は、先のようなひどい闇を放っておいて、小物を捕って喜んでいるのでしょう。それは警官も、その上司も、単に法に従うロボットのような存在になってしまっているからです。 考えてみてください。日本で十八歳未満の女性と性交することが法で禁止されたのは、1990年以降です。 では法が施行される前なら良かったのかというと、倫理的には、時代がいつだろうと未成年者は護るべきだし、婚前の交渉は罪なのです。 現在、売春も不倫も法の上では犯罪とはみなされていませんが、もし法で禁止されたら、ほとんどの人が犯罪者になってしまうのではないでしょうか。 実際、古代イスラエルでは不倫や売春をした女は石打の刑で殺されたのです(もちろん私が死刑を肯定しているわけではない)。今は人間の作った法がないだけで、倫理的に罪であることに変わりはないのです。 果たして警官たち自身は倫理的に見て罪を犯していないのでしょうか。人を刑する資格があるのでしょうか。 宇宙の法則 この世には性の法則というものがあります。それは時代や国に関わりなく、しかも地球のみでなく全宇宙で共通の法則です。 それは「一の法」というものです。「男」を“陽”、「女」を“陰”に例えた場合、陰と陽で合わせて「一」とする法則です。 もし一人の男と一人の女が出会い結婚し、生涯お互いに他者と性交渉することなく人生を全うするなら、それは正しい人生と言えるのです。 しかし男が複数の女と、女が複数の男と性交渉するとこの一の法が崩れ、宇宙の法を犯すことになるのです。 人類は結婚制度を尊重しなければなりません。婚前交渉もいけないことなのです。 では法則を犯すとどうなるのかというとそれは、法を犯した人に苦しみがもたらされる、ということになるのです。 例えば本当に愛する人にめぐり逢えずに一生、心に穴の開いたような人生を送ることになるとか、来世で親に恵まれない人生を歩むとか(欲望だけのセックスで作った子を捨てればカルマとなる)、あまりに猟奇的な欲望の満たし方をしたものは将来病気になるとか。 相手をただのセックスの対象として、相手の心も体も傷つけた場合、逆に来世でその者自信が傷つけられることになるのです。 神の思惑 このようなケースもありえます。 この人生で捨てた女が来世でその人の母親になり、男はその女性の支配下から逃れることができなくなります。反対に男はその女性を愛さざるを得なくなるのです。神はこのように人類に愛を学ばせようとするのです。 全て家族というのは父と娘、母と息子は前世の因果関係にあり、父と息子、母と娘も前世で敵対した関係にあるのです。 そのほか複雑な愛憎関係にあって神は家族を構成するのです。家族間でしばしば争いがあるのはこのためです。 しかし神は人間に愛を学ばせようとしているので、最終的には和解しなければなりません。 最もひどいカルマ(不適切な表現をご了承ください) 単に性的過ちをしただけでなく、悪魔のごとくになった者は、来世で性交渉そのものができないように生まれ変わることになります。 ・精神薄弱者になる ・性不能者になる ・同性愛者になる ・(男であったら)女になる ・半身不随者になる このどれかを選べと言われても、受け入れられないでしょう。 しかし、来世で再び罪を犯させなくするために、そしてこれ以上の被害者を出さないために、神はその人にこのような試練を課すのです。 もしこれがいやなら、悔い改めるしかありません。たった今から悔い改めの人生を送り、やり直すのです。 もし今後一生罪を犯さないなら、あるいは神は許してくれるかも知れません。悔い改めないなら、今生の内にも裁きが来るでしょう。事故、病気にみまわれるかも知れません。 人は遅かれ早かれ、悔い改めるように出来ているのです。 人は赤ん坊の時から性欲を持って生まれてくるわけではありません。思春期になって性欲を持ちますが、老年になると再び穏やかになるのです。 そうすると若年の時の愚かさを悔いることになるのです。若いうちから悟った者は賢者といえます。 もし老いても悟らないなら、悟る方向へ向かわざるを得なくなるでしょう。 孤独になったり、病にわずらわされたりして、愛とは何かを悟らざるを得なくなるのです。それでも改めなければ、来世でひどい人生が待っているのです。 喩え 男は女を性の対象として見ます。それは自然なことです。しかし、誰でもかまわずセックスすると罪になるのです。何故か。 男が性の対象とする「女」とは、“誰かの娘”ではありませんか? 女には必ず父と母がいるのです。ある男性のかけがえのない娘なのです。 娘をもてあそばれて良い男性がいるはずありません。また「女」とはいずれ“母”になるかも知れない存在なのです。 子供たちは母が男たちの性の捌け口にされていたと知ったらひどく傷つくでしょう。 また「女」は誰かの“姉”や“妹”かも知れません。その兄弟姉妹はその「女」を大切に思っていることでしょう。また「女」とは誰かの“妻”であるか将来なる者かも知れません。自分の妻がかつて売春婦のようなものだったことを望むものはいないでしょう。 では、あなたの母、娘、姉、妹、妻が他人にひどいことをされたらどうでしょう。あなたが他人にしていれば、文句は通用しません。カルマとはそのようなものなのです。 それがいやなら他人にひどいことをしないことです。たとえ今、妻がいなくても、娘がいなくても将来持つことになるかも知れないのだから。 神は人間にセックスを禁じているわけではありません。しかし、男と女は清い関係でなければならないのです。真の愛と真の夫婦として老年を迎えるべきです。 改革の必要 世の指導者、政治家、マスコミといえども、特に男であれば性欲があるはずです。しかし、少しずつ世を改革させねばなりません。 売春・風俗・ポルノ・性の放縦を改めるよう声を上げねばなりません。ただし、少しずつです。急に全面廃止しても人間の欲望は反発し地下に潜るだけで、結果的には根本的な解決にはならないでしょう。 まず大切なのは、ここに記したような道理を人々に行き渡らせ、理解させることから始めることです。理解すれば人は自発的に戒め始めるでしょう。 今、罪を犯している者の中にも知恵がなかっただけで、理解した途端に改革の側に立つ者も少なくないでしょう。(出兵された兵士が戦争から帰ってきて、反戦の立場をとるように)。 少しずつ理解を得、少しずつ改革してゆくことによって、あなたの人生や家族、またはあなたの来世を守ることになるのです。 性腺の働き 人間の性活動を清めるだけで、この世のほとんどのトラブルを解決することができます。 人間の生殖活動は人体の七つの腺のうちの一つ、性腺に司られています。 性腺は性活動を司るばかりでなく、あらゆる活動の源になっています。なぜなら、人はセックスを通してこの世に生まれ、肉体を授かり生活するからです。性があるから人はこの世に存在するのです。 しかし、性活動が汚れたものであると、その人間活動も汚れたものになり人は争いを起こすようになるのです。 性活動の汚れが人に怒りや衝動を誘発し、戦争などが起こりやすくなるのです。だから、反対に性活動を清めることによって戦争などの争いを防ぐこともできるのです。 また性活動が汚れたものであると性腺を汚すことになるので、人生は苦しいものと化してゆきます。性腺の汚れは人体に悪影響を及ぼし、その人に病を作り出したりします。 現代医学は肉体ばかりを治そうとするから、はかどらないのです。もし患者の行いや心を正すことを平行して行えば、驚異的な発展を遂げるでしょう。 以上のように、人間の性を改めさせることが、この世の争いやあらゆる病を無くすことにもつながってゆくのです。 姓名判断・カウンセリング ![]() BACK Copyright (c) 2006 Yasushi All Rights Reserved couner from2017/10/18
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