HOME 金運という運は存在しない 占い 風水 「金運」という言葉は世に氾濫しています。スピリチュアル系の本やサイトばかりでなく、多くの人が普段から使う言葉です。 テレビやネットの占いでも、金運アイテムがどうのとか、身に付けるもので金運が上がるなどと言うではありませんか。 そもそも日本人の多くは、占いを信じていないし、いわゆるスピリチュアル系のことも信じていない人が多い。しかし非常に多くが新年になると神社や寺を訪れる。また、お盆といって死者がその期間だけ帰って来るという考え方に基づき、彼らは墓参りをしたりするのです。 そして彼らはそれを信仰や宗教だとは思っていないわけです。 しかし傍から見てイスラム教の熱心な祈りやキリスト教の教会での祈りと何ら変わらないものです。 そういうわけで日本人というものも、何らかの信仰を実は持っているものであり、運というものも信じているものなのです であるから神社で参詣したり、金運のお守りなどを買ったりするのです。 金運とは何か 一般に金運を上げる方法なるものを伝授する人々がいます。 彼らが言うのは 金運のある財布を持つこと 部屋をきれいにする 掃除をする 黄色いものを持つ インテリア、風水を利用する 日常の行動を変える パワーストーンを使う そして開運神社に行く などなど しかし私がしばしば申すように、これらの人々、哲学、霊能、スピリチュアル系の人々の語りや本は玉石混交であり、正しいこともあるが同時に、間違えたことをも語るのです。 私は神に焦点を合わせ、宇宙というものがどのように魂を運営しているか分かるので、その辺のことを語ってみようと思います。 実践 人間には確かに運というものがあります。しかしそれは宇宙のルールとしては実は使ってはならないものなのです。そしてそれ=力を使える人というのが世の中にはいるのです。それは人によってまちまちであるが、大なり小なりその力を使うものが成功し、それを、人々は何が起こっているか分らず「運」という言葉で片づけているのです。 そして究極的に言うなら、世で言う「金運」というのはこれなのです。 金運以外にもあらゆる運がこれなのです。 ではどのような人がその力を持っているかというと、これも私が散々話したことだが、天から下って来たばかりの魂たち。彼らの多くは力を使ってはならないという宇宙のルールがあることを知らない。知っていても軽視し、横暴になっている。 または下の領域から転生して来たものら。彼らは過去生の地球で殺人の罪を犯した者らで、地球に転生する際に霊力を携えて来るのです。 しかし魂は転生しています。そのプロセスの中で彼らは必ず、力を弱めるのです。そして最終的にはその力を使わない人間として転生しなければならないのです。 ということは、この力を使う者ら、「運を持っている」者らというのは全員、転生の旅の中でまだ途上だということなのです。 そしてもし彼らのような者らが優位に立ったら、それは1つの人生の失敗となるのです。 すると彼らはやり直しの転生をもう一回しなければならなくなるのです。もしその人生でも失敗したらまたやり直しとなり、永遠にループから抜け出られないことになるわけです。 であるから人はたとえ力を持っていても、優位に立とうとしてはならないのです。 ある種の人たちはなぜか人生がスムースに運ぶ。時に挫折もあるが、総体的に見るとうまく行っている。例えば政治家や芸能人、財界人など。 彼らはなぜか自分たちは特別だと思い込んでいる。そして「そうだ、自由に好き勝手なことをすればいいんだ」と思って、開き直っているのです。 そして彼らのような人々は上記のようなこと、カルマや宇宙のルールというものを嫌い、否定する傾向にあるわけです。 ではその他の「普通」の人々〜世を見てもらいたいが世界で優位に立っている人たちというのはごく少数の割合だ、ということはその他の多くが疲弊しているということであり、彼らは自身の境遇に対し、常に何とかしなければならないと思っているのです。 それが彼らに金運を求めさせているのです。 私は言う。もし窮地に陥っているなら、何とかするべきであるけれど、特別、窮地に立っていないのに力を使うのはルール違反となります。 しかし生活のためにささやかながらも何とかしなければならない人たちというのは、努力すべきであります。 金運に導くもの そこでではどのようにしたら、運、力、金運を導けるのかというと 金運 金運というもの自体は存在しないが、運を開く方法はあります。 それは1つに、頭を使うことです。それは合理的に、論理的にどうすれば金をかせげるか、金融のシステムはどうなっているか、どのようにしたらそのような世界に入れるかなどを物理的思考で考えることなのです。 もう1つは愛です。なあんだ、とあなたは思うかも知れないけれど、 こういう逸話があります。 ある人が猫を拾いかわいがってあげたけれど、猫が病気になり多大な治療費がかかった。 しかし猫を大事にする人は身銭を切って助けた。すると後日その人はふと買った宝くじが当たったというものだ(私が読んだエピソードではその当たった金額は治療費と同じだったそうで、プラスマイナス0だったが)。 しかしこれは人〜ばかりではなく自然環境などでも助ける働きをすると、何らかの見返りがあるということです。愛情を注げば、愛情が返って来る。動物も植物もそうだが、子供でもそうではないか。 そしてそれはその人の環境〜お金にも帰って来るということなのです。 もう1つは誠実さ 「なんだ、バカバカしい」と思った人もいるでしょう。 しかしこれも私がよく唱えることだが「誠実は最良の策」という風に、ビジネスに於いては結局、誠実に対応した方が後々良い見返りがあるということなのです。 損をするようなことをせよと言っているのではなく、ずる賢く人を騙すようなことをしてはいけないということなのです。そのようなことはいずれ信用問題として帰って来るのだから。 だからよく自動車会社が「リコール」といって、不具合のある車を無償で点検、修理するのはそのためである 長い目で見ると信用問題が大きく響くからです。 これと同じことが普段の我々の生活で、自身の優位性を将来的に決めて行くのです。 (〜パチンコ、賭け事、性風俗に通うなども不誠実に含まれる) そう、それ以外にも悪人もたくさんいます。しかし彼らは遅かれ早かれ、力を萎ませて行くのです。 かつて華やかだった成功者が、最後は悲惨だった、というのはよく目にする話であるが、それなどはこれなのです。 だから人は誠実であった方がいいのです。そうするといずれそのような人は力を得るようになるのです。そして誠実ゆえにその力を横暴な使い方をしなくなっているというわけなのです。 言い換えるなら、そのような人に天は力を与えるということです。 結論 上記で、力を使える人は、ルールを知らない、天から下って来たばかりの人と、下の世界から来た人と書いたが、いずれにせよ、神の力を借りているのです。 なぜなら、上から来た人は分るとしても、下から来た人たちはなぜなのかというと、彼らとて地上に転生するまでに罪の償いとしての熾烈な苦労を経ているからなのです。 それゆえに彼らは力を授かったのです。 (エドガーケイシーが「地位にあるもので神の力に預かっていないものはいない」と言っているのはこういうこと。地位にある悪人〜政治家が神の恩恵を受けているという意味ではない) ということは、いずれにせよ、裕福でない人が裕福になるためにはこれから熾烈な人生の戦いを甘んじて受けねばならないということでもあるわけです。 そうすれば少なくとも来世では有利な人生を送れるかも知れないというわけです。 しかし同時に、人はその熾烈な人生によって仮に成功したとしても余剰の金は世のために使わねばならないと学んでいなければならないのですが。 ・・・それを学んでおらず、力だけを行使している人たちが世界を支配しているのが、現在の地球なのです。 ゆえに、我々は、学びによって、仮に優位に立っても謙虚に人のために生きねばならないのです。 姓名判断 タロット カウンセリングを行います 本物の姓名判断を用いカウンセリングします 姓名判断・カウンセリング ![]() BACK Copyright (c) 2006 Yasushi All Rights Reserved counter from 2022.4.21
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