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正しい怒りと正しくない怒り




通常の怒り 正しくないもの

人間は怒るものです。
そもそも人類の歴史で人類が犯した罪というのはほとんど、この怒りから生じています。
例えば、戦争。これは計略的に武器商人たちが引き起こすケースも多々あるけれど、多くは報復など、人種間の
憎しみなどから生じています。

(計略的に行われる武器商人らが引き起こしたものとしては、第二次大戦におけるアメリカ=これはぎりぎりま
で参戦していなかったが、大義=日本の真珠湾攻撃によって、大義を見つけ、参戦したかったものらのいいわけ
となった。これはベトナム戦争で証明されている。フランスの側についていたアメリカは関係のない戦争に参戦
することになった。これはトンキン湾事件というねつ造がきっかけ。ということはアメリカが参戦したくて参戦
したことを示す)

(また領土問題で戦争が起きることがある)

しかし領土を奪うことも、相手国を憎む気持ちがあったからであるし、相手国への憎しみが怒りへと変わって、
多くの場合戦争は起きる。

また国家間の問題だけでなく、我々は常に怒りと対峙しています。
自動車のあおり運転。道での接触。隣人同士のトラブル。いじめや兆発によって生じる怒り。口げんか。
このようなものが我々にとっての「怒り」であり、日常的に起きているものです。
しかし怒りは往々にしてその当事者たちにとって優位に働くことはない。面倒な裁判になったり、国同士の戦争
では多くの戦死者が出る。個人的いざこざでも心に傷を残す。

毎日のニュースで、暴力や殺人が報道されているけれど、それらは多くが怒りによるものと考えていいだろう。
だから、怒りというのは抑制した方がいいのです。
「アンガー・マネージメント」という感じの本が出たりして、これは現代人にとっての共通のテーマとなってい
るとも言えます。



正しくない怒りがもたらすもの

エドガーケイシーのリーディングにこのようなものがあります。
「建設的な精神状態を保ちなさい。怒ってはならない。怒りは循環に負担となる分泌物を体内に作り出す。
[470-19] 」

すなわち、人間というものは怒りによって、自分自身の身体に病気を作るということなのです。
昔私はよく、肩がこるという人に対し、「精神状態を改めた方がいい」とアドバイスしていました。つまり、「
そんなに肩がこるとか、疲れるというなら、怒ることを止めることだ。生活態度を改めることだ」と言っていた
のですが、その度に「なぜそんなことが関係あるんだ」と反論されていました。
その時、私はそれを論理立てて説明することが出来なかったし、私自身、なぜそのようなことが関係あるのかよ
く分かっていませんでした。しかし関係あると感じていたのです。

それは今になると「カルマ」という言葉で説明できるようになりましたが、「人間の意識、心が人間の健康状態
と繋がっている」ということでもあったのです。

例えば、
怒ったりすると胃に悪いと言ったりします。特に怒っている時は人間はあまり食欲が出ないものです。そしてそ
のような時に食事すると体に毒を作るそうです。これもケイシー・リーディングでありました。
また、怒りは高血圧に関係するとか、これは医学的にも証明されていることです。
ということは「人間の感情は健康に関係ある」ということになるのです。
怒る人は胃潰瘍になりやすいとか。中間管理職の部長さんがいつも胃薬を飲んでいるというマンガもありました
。読者はそれを何も考えずに受け入れていますが、それは人間の感情が体に作用するということを物語ってもい
たのです。

私がよく言うことは
・人を罵ること、悪口を言うこと、怒鳴ること、このようなことは「口のカルマ」となり、口の病気射なる。そ
のような人はしょっちゅう虫歯で悩まされたり、口とは関係ないけれど風邪ばかり引いたり、喉を傷めたり、口
周りのトラブルに悩まされるはずなのです。

だからこそ、人間は自分自身の感情を鎮めること、コントロールするようにした方がいいのです。



正しい怒り

では人間は全く怒らない方がいいのか。
ある人々は言うことでしょう。人間は泣き笑いした方が、人間的だと。無感情だとロボットのようだと。
確かに人間には感情が与えられています。ですから感情があるのが当たり前です。楽しかったり、悲しんだり、
そして時に怒ったり。
しかし、相手を傷つけることはご法度なのです。そして人間が転生という修行をしている理由もここにあります
。人間が地上に生きている理由の1つは他の人間を傷つけないような人格を形成するためなのです。
そんな生活で厄介なのが怒りの感情です。

良い怒り

しかし、意外でしょうが、良い怒りもあるのです。
それは社会を正すためのもの。正義の怒りです。もし社会に不正があったらそれを放置しておく方が罪です。な
ぜなら罪人を助長させることになり、悪に転じた人間は自身の魂を滅ぼすことになり、魂を滅ぼす人間は自分を
傷つけていることになり、そのような人間を正すことも助けることの1つなのですから。
また、そのような横暴な怪物から他者を守るということも1つの理由です。そして何より現実世界に生きている
我々は一部の搾取する人間で社会全体が蹂躙されたら、生き辛くなってしまいます。
そのようなことから自分を救う、他者を救うという意味で、正義=正しい怒りというのは必要なのです。

殺人者がいるとします。それを放っておいたら、新たな被害者を生むかもしれない。その被害者は自分かも知れ
ない。そう考えるならその殺人者を放っておいていいわけはありません。そしてそのような犯罪者に怒ることは
自然なことです。
別に、喧嘩をしろとか、成敗しろとか、怒鳴れと言っているのではありません。心の内で正義の炎を燃やせと言
っているのです。

政治の不正に関してもそうです。
悪い政治によって不当な税に苦しめられたり、一部の人間たちだけが不正に儲けたり、儲けのために国民全体が
蹂躙されたり、一部の人間の名誉のために他の人たちが犠牲になったり、
そして政治家そのものの驕り、名誉、富によって彼らが堕落することも、是正しなければならない問題です。

もしそれによっぽを向くなら、それは社会を正そうという意思がないということで、誰かが蹂躙されるのを放っ
ておくということであり、傲慢な人間の魂が滅ぶことを許しているということになるのです。
これは人間として自分自身を低下させることに他ならないのです。

世を救わないこと、社会を是正しないことは、自分自身がそのような精神であることを示すことになり、自分自
身の魂が低いことを示すことであり、つまり言い換えるなら生まれて来た意義、意味をないがしろにすることに
なるのです。
そのような人は、自分の魂を磨くためにまた転生しなければなりません。
その際、もっと低い国、環境に生まれるかも知れないのです。



怒らないことは自分を助ける
正しく怒ることは自分を助ける


個人レベルでの喧嘩。感情による怒り。そのようなものは自分自身を傷つけることになります。相手が悪い場合
でも、相手に感情的になることは自分に不利に働きます。
ですからそのような、感情による怒りは抑制した方がいいのです。よく「発散しないと精神によくない」とか「
ため込むとストレスになる」などと言う人がいますが、そうではありません。
溜め込むことでどこかで誰かに感情をぶつけ、誰かを傷つけることが巡って、自分に良くないのです。もし誰を
も傷つけなければ自分が傷つけられることはありません。
喧嘩の時に口を出すことが、むしろ自分を傷つけることになるのです。抑えることは自分を傷つけることにはな
らないのです。

そして社会に不正があった時、それが野放しになっていた時、誰かが傷ついているのに、踏みつけられているの
にその問題が放置されていた時、政治に不正があってそれが容認されていた時、
それを放任する精神をあなたが持てばそれはあなたに正義がないということになり、あなたの魂は磨かれる必要
性を帯びてきます。するとあなたは転生の対象となってしまいます。
無関心は、スキャンダルに目をつむること、ゴシップに耳を傾けないことには有効です。しかし国が悪くなる、
不正がある、そのような時には正しい怒りを持った方がいいのです。
正しい怒りは、相手を罵るものでもなく、怒鳴るものでもなく、世界を是正しようとする意志です。
あなたの声が小さいものでも、その意志を持つだけでも、正義、正さ、健全さを持つことは良いことなのです。











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