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人種差別はあってはならないが、人種に差はある




人間は皆平等か?

ここに金持ちで容姿がいい者がいるとします。一方で、容姿が悪く、金も地位もない人間がいるとします。これらの内羽振りのよい方を贔屓したら、それは「差別」です。

しかしここに横暴な人間がいるとします。一方で謙虚な人間がいるとします。 
これらを同等に扱うことが「平等」なのだろうか。

我々はまず何が「差別」で何が「平等」かを定義づけねばならないのです。

男女を混ぜることが平等ではありません。
男女のトイレ、着換えが別であるべきであるように、男女には違いがあるからです。
出産するのは女性です。だから女性には子供を育てる役割がある。それをなげうって社会で働き地位を求めることは決して平等ではないのです。
しかし現代の社会では、特に欧米ではこれをもってして平等としている。

人間たちは「論理」的に考え、正しいことをしようとはしています。

例えば、
セックスの問題 一見、セックスとは減るものではないので、誰と何をしようと自由に思える。しかし、そうではないのです。なぜそういえるかというと神の法に則ってのことです。

この世界は魂が人間の肉体に乗って、神の法を順守するか試される場なのです。 
そして魂は決められた者どうしが合一すべきであり、魂の合一の肉体的営みとしてのセックスはゆえに、複数の混合は赦されないのです。

地上の事象として、そのようなことをすると性病の原因ともなります。これはそのような行為が神の法に反していることを現しています。

そして男女の在り方にも神の法はあります。それは男性は外で働き、女性は家庭を守るというものです。
一見、「人間というものは自由なのだから、何をしてもいい」と思いがちです。そして女性も男性と同じように外に出て働き、男性と同じような地位に就くのが「平等」であると勘違いしがちです。

しかしそれは間違いなのです。
先に述べたように女性は出産をする。そして乳房は赤子に乳を与えるように出来ている。そもそも子宮に子を宿すこと自体、女性が子を育てるように運命づけられていることを示しているわけです。

子供の幼児期は、人格形成に重要な時間です。その時期は母親からいろいろ学ぶことが人格形成に役立つのです。思いやりや平等について。もし子育て放棄をし、育児所、保育園に預けたらその時期のふれあいがないということになるではありませんか。

するとそのような子供の集団は、自分がないがしろにされたように他者をないがしろにする傾向になるかも知れません。

その証拠に、日本の失われた30年=1990年から2020年という期間、職にあぶれる国民があふれた。それは両極端で贅沢が出来るものと、生活が成り立たないもに分けられたのです。 
仕事というのは与えられないとどうしようもない。しかし社会のシステムとして本来なら、金のある企業が慈悲として、人道として失業者に仕事をやるものです。 

しかしそれが行なわれなかった。未曽有の不景気と言いながらも大企業には金があり、上層部は左団扇だった。ではなぜ彼らは貧者を救わなかったのか? それは総体的に見てだが上記のように、ないがしろにされた世代(仕事をあたえる側)が他者をないがしろにしたというわけなのです。

たとえ保育所に預けられなくても、親から慈悲を学ばなかった世代だったと言えます。

であるから女性は家庭を放棄するべきではないのです。

しかし女性権威主義のそのような論理では、地球上の全ての人間を平均化しようとするでしょう。
しかしそれは間違いなのです。



全てを平均に均すことはできない

欧米諸国のそのような誤った論理のために最近では「ポリコレ」というのが流行っています。
黒人差別をしない、性差別をしない、外見で判断しない

しかしながら彼らは相変わらず
金と権力がないと政治家になれないシステムを改めないし、全ての国が核を捨てるように仕向けていない。

性差別に関しては上記のように、差別ではなく、違いがあるだけなのに平等の名の元、混ぜようとしている。

人種差別に関しては、
アジア人にしろ、黒人にしろ、白人らがこれらを「憎む」という行為が依然ある。
しかし地球上の国に住む国民はそれぞれに「性質」があることは理解すべきなのです。

例えば、南アフリカは殺人件数が非常に高い。その他、この国の国民は好戦的だというような傾向は明らかにある。それを無視して「平等」と言っていてはいけないということです。
なぜなら、そのようなこと、国によって国民の質があるということは事実なのだから。



人種は魂の質によって住み分けられている

これは私が唱えていることであるが、霊界は魂の住み分けが成されています。

つまり人が死んだ後のことであるが、霊界に入る、その際、全てが一つの領域に住むのではないのです。

魂の質によって、霊界内の領域が分けられているのです。
好戦的な者らと大人しい者らが一緒に住まないようにです。そうしないと悪い質のものに良い質のものが浸食されるからです。悪い質の者同士が集まる方が合理的なのです。

これと同じようなことが地球上でも起きている。
すなわち、地球に転生して来る魂たちはその質に応じて住み分けられているのです。

日本人は真面目だけれど、無慈悲で、他人の真似ばかりする。
中東では好戦的な人々、宗教を学ぶべき人々。
ヨーロッパは比較的人道の意思のある人々。
アフリカは結婚制度を持たず、誰彼構わず性行するため、遺児たちがあふれている。そのような魂たちが集まっているのだ。
中国などのアジアはプライドが高く、細かい作業に向いた人たち。

単に性質では済まされないものもあります。

ゆえにこれらの人たちを同等の目では見てはならないのです。
ヨーロッパやアジアの感覚でアフリカに旅行するなら、容易に殺されるかも知れない。
これは差別ではない。実際に魂の住み分けがなされているからなのです。

大人しい魂が好戦的な魂に浸食されないように。
もし混ぜると混乱が起きます。 
男女間の性行もそうだし、女性を男性社会で権威者にすることもそれに当たる。

人を憎んで侮蔑するのは間違っています。人種のいかんに関わらず。
しかし、その人間の出身国はある程度、考慮すべき問題なのです。



警戒が必要

しかしながら、荒っぽい国から平和の派遣者が現れることもあるだろう。
魂は住み分けが成されていると言ったが、それぞれの国に世直しをするために派遣された有志も混ざることがあるからです。

キリストは神でありながら、こんな辺鄙な太陽系惑星を訪れたのです。 
この惑星〜太陽系も銀河の中では低い、荒い領域なのです。決して高度な魂らが送られる領域ではないのです。
だから、人を見る必要があります。

「その木を知りたかったら実を見よ」
とキリストは言ったが、人間の本質を知り難かったらその人間がして来た功績を見ることです。
人種で切ることも優遇することもなく。







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