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神を認識することが全ての始まり



あなたは神を認識しているだろうか

日本人の多くは神を信じていないことだろう。 
しかし彼らは初詣には押し寄せ、御朱印ブームになると猫も杓子もブームにのる。
そして彼らは言う。自分は宗教には興味ない、神など信じない、神などいない。

しかしジンクスというのはそれ自体信仰ではないだろうか。霊など信じない、占いなど信じない、神などいない、スピリチュアルなどばかげている、
というが、ジンクスとは「人間の意思を越えたものがあることに気づき始めている」傾向に他ならないのではないか。

そして彼らが神を信じない理由として
・神がいるならなぜ世界に悲劇があるのだ 救っていないのだから神はいない
という。

その答えは私がいつも言うことだが
「人間には自由意志がある。つまりコップの水をこぼそうと思えばできる。自由意志とは神が人間に与えたものなのだ。しかしコップの水をこぼそうがその他の悪さをしようが、人の自由である。
戦争などの非劇、人が蹂躙されること、そのようなことは兎にも角にも人が引き起こしていることなのだ。
地上の人為的悲劇に神は関係ない」
ということなのです。

この世界にはやって良いことと悪いことがあります。もし悪を行なうと罰が下るように出来ているのです。
しかしこの罰というものは悠久の年月を経て起きるようになっているのです。小さい罪なら風邪という形で現れるかもしれない、箪笥の角に足をぶつけるかもしれない。 
しかし殺人などの大きい罪はしばしば来世にまで引き延ばされるのです。
これが悪人がなかなか罰されない理由でもあります。しかし極悪人は平穏には済まないことを見ればあなたにも分かるだろう。
だから悪を行なってはならないのです。

これらのことは神が存在する1つの証拠です。



言葉で教えること 理性に訴えることは難しい

しかし「神」を頭で理解するのは非常に困難です。 
多くの場合、言葉を尽くしてもほとんどの人は理解できないだろう。
神は存在する、霊はいる、人は転生している、愛を持ちなさい、戦争をしてはならない、と言っても多くの人は理解できない。
日常の悪人、政治家、独裁者、彼らは理解できない。

理解する方法

1:親による愛情
近年、母親が幼い子を託児所に預け共働きすることが流行っている。しかしこれは神の法に反することなのです。伴侶がいて稼ぎがある場合、母親たる女性は働きに出ずに子育てをしなければならない。その子育ての過程が愛情なのだから。託児所の他人がすることとは違う。人としての接触もそうだが霊的な接触もあるからです。
そして親は子に倫理を教えることができる。

2:頭で理解する
これは私が行なっていることです。人に神、宇宙の法、を教えること。
人間には自我=理性と霊意識がある。自我とは「人間の広大な霊意識の中から抽出された改めるべき資質の部分」なのです。
そのため多くの人間には欠点がある。しかしその欠点は地上で改めるために人生があるのです。
しかし人間は自我が低いため、しばしば高度なことは理解できない。霊とか神とか転生とか。

それを理解するには教えを乞わねばならない。
一番簡単な方法は「福音書」を読むこと。しかし特に西洋人以外は読まない。また、世には騙すエセ宗教が蔓延しているため人々は非常に警戒するようになっている。
「聖書は危険なものだ」と。
しかし危険なのは「宗教団体」であり、宗教そのものではなく、聖書ではないのです。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という言葉があるが、ある程度の危険を冒さないと宝は手に入らない。
しかも本を手に取ることなど非常に簡単なことではないだろうか。
そして聖書の中から「福音書」を探し、その4つの書物の中からイエスの言葉を味わうこと これが理解に繋がることなのです。

もう1つの方法がエドガー・ケイシーのリーディングを読むこと。
現在ケイシーの本は第三者が書いた煩雑なものしかないが、将来純粋にケイシーリーディングのみが発行されるだろう。
それまでは彼の伝記や雑多な書物を乱読するしかないが、読者の目を開かせるには充分であろう。

もう1つは私の書物である。
なぜなら私の書は私個人のものではなく、聖書並びに神話を解読した公的なものだからです。
そして「解読」をした人は全世界で一人もいない。ケイシーのみが断片を語っている。
しかし彼は全編を語っていない(それはリーディングというものが非常に体力を使うものなので物理的に不可能だったからだ)。
かくいう私も20年七転八倒して書いたのですから。

それを読めば、人類の始まりから終わりまで、宇宙の始まりから終わりまで、宇宙の構造、人間の転生行程、人はどのように生きねばならないかが歩地理的知能に理解できるように書かれているのです。
しかし非常に煩雑で広辞苑よりも膨大な資料であるため、読むのには数年かかるであろうし、学ぶには一生かかるだろう。
しかし非常に有益なものである。

これらを実践するなら神を理解できるようになるだろう。



メタファー=比喩

3:比喩言語を読む
イエスキリストは常に比喩で教えていました。そのため聴衆は戸惑ったようです。
弟子たちですらそうだったのだから。それゆえしばしば彼らはイエスに今語ったことの意味を尋ねたりしていました。

ではなぜイエスはわざわざ分りにくい比喩などという技法を用いたのか。

それは上記の通り、人は頭では理解できないからです。「平和にありなさい」「愛を持ちなさい」と頭で聞いても彼らは実際には「聞いていない」のです。
そのため比喩を用いたのです。
比喩というのは人間の霊意識に働きかけるものだから。

人間の意識というのは我々が知っているように「意識」=自我のみがあるのではなく、それは霊意識の支配下に置かれているのです。
そしてその霊意識も万能ではない。

霊意識ですら学びが必要なのです。
我々は「魂」という生命体だが、それには個々、個人差がある。ある種の人たちは人の霊意識は偉大で何でも知っていると思い込んでいる。霊能者にはよくある傾向です。自分は一番だという幻想に憑りつかれやすい。だから彼らは勘違いし宗教の教祖になったりするのです。
しかし人の霊意識ですら低く、学びがしばしば必要なのです。 

では誰から学ぶかというと、指導的な霊からです。
まさにイエスキリストは神の具現者であり、指導者というより、全ての魂の「親」のようなもの。
エドガーケイシーは(これはケイシー研究家ですら知らないことだが)、指導霊のリーダーのようなものだったのです。

そのイエスが子を助けるために言葉を使ったのだが、彼らの霊に理解させるために比喩を用いたのです。
人は霊で理解すると、それは理性=自我では理解できなくても潜在意識に組み込まれる。するとそれは無意識に貯蔵されるため、魂の意識の一部となるのです。
自我の場合、宙ぶらりんで忘れ去られる。それが経験となり教訓となるなら糧となるが。
しかし潜在意識に残ったものは来世にも有効なのです。
するとどうなるか。
その人は無意識の内に行動を制御するようになるのです。

世間では
安易に男女交際をする者らがいる・・・性の法則を知らない
戦争をしろという者がいる・・・学びが必要
その他、横暴で自分中心主義、暴力的、思いやりがない、慈悲慈愛が備わっていない、謙虚さがない
などが存在するが、これらは皆、潜在意識が彼らを導いていない証拠です。
私がしばしば権威者、政治家、医師、教師、東大生、成功者、金持ち、有名人などに言及するのはそのためです。



神という存在を理解し認識することが人間全ての始まり

神が存在するということを理解することが人間にとって人生の始まりなのです。
たしかに人は呼吸し生きている。しかし多くの人々は目的もなく、その日その日を凌いでいるに過ぎない。それだけならまだいいが、日々、人を蹂躙する生き方をする者もいる。
エゴ、我欲に呑まれそれに気づかずにいるものもいる。
というか、大多数がそれだ。

しかし神を理解するなら自分の置かれた位置を認識することになり、どのように生きねばならないかが分かるようになるのです。
すると人々は互いにいがみ合うのを止めるようになります。

現代の人たちにはこんなことはおとぎ話のように聞こえるだろうが、遠い過去にはあったことだし、そして遠い未来には実現することなのです。
遠い過去、アトランティス時代のある時期はこのようだった。そして地球でもこれからの1000年は理解が続きます。しかしその1000年を過ぎると今のような思考を持つ人々がまた現れ始めるので、世界は現在のように混乱しはじめるだろう。
しかし、現在のような戦争や紛争は終っています。表面的平和の中で人々は真の神の法を見失うのです。

だから皆さんは今、神について理解した方が得策なのです。
後の時代になってその叡智は魂の内に保持されるからです。しかし信じ理解しなければならない。
そのためにはできるだけ思考と行動をそのようにすることです。
行動=プラカードをかかげて平和運動をしなくても日常の生活の中で、怒らず、温和で、誠実で、やさしさを持つならそれを体現できるだろう。






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