HOME スター 現代は闇 しかしそれを変える方法がある (我々は太陽を見い出さねばならない) 世にはスターがいる 我々はスターに憧れるものです。 古くはエルビスプレスリー、ビートルズ、今も無数にいます。時代はヒーローを作るからです。 音楽界・映画界・スポーツ界・テレビ界・諸々。 我々は彼らに出会うと舞い上がるもの。一体誰かを崇めたり、ファンになったりしたことのない人はいるだろうか? そう、誰かを好きになる、好意を持つということはそれ自体は素敵なことです。誰かが嫌いとか、誰も好きな人がいないとか、そのように心が殺伐としているよりは良いということではありませんか。 しかしそれが行き過ぎるのは、いかがなものか。 その人を神のように崇め、その人の悪口を言われると怒る人もいます。家族や友人よりも大事に思い、彼らを優遇する。 ただ芸能人だから、有名人だからと言って世間で優遇することはよくあることです。 特に権力者に対してはそうだ。政治家や要人と呼ばれる人たちには。 要人らは国の仕事をしているゆえ、かくまわれる必要はあるだろう。しかし崇められることは間違っているのです。 問題は、誰かを持ち上げると、反対に誰かがさげすまれることです。 往々にして誰かを崇める人というのは、身近な人のことはさげすむものです。キリストの時代からしてそうだったのです。 町民はイエスがご近所の人というだけで見下していたのですから。 キリストは言います。「私が故郷以外で尊ばれないということはない」と。 人は身近な人のことはさげすむ傾向にあります。そして遠く手の届かない人のことを夢見るように崇めるのです。 まるで欲しいものがある時、それを手に入れることばかり考えるが、手に入れたとたんに興味を失うというのに似ているではありませんか。 そして彼らは身近にあるもの、人、を尊重しないのです。悪い時はそれらをバカにしさえします。 この両極性がいけないのです。 誰かを崇める人というのは、反対に誰かをさげすむ傾向にあります。これは改めねばならないことです。 ヒーローが輝くのは悪役がいるから ところで我々はスターに憧れるが、子供たちは正義のヒーローに憧れるものです。特に男の子たちが。 女の子たちもその傾向にないとは言えません。セーラームーンや童話や漫画のヒロインに感情移入するではないですか。 スーパーマン 超人で世間の事件、事故に対処して人々を助けるヒーローだ。 バットマン いつも個性的な悪役がいる。その悪が社会を困らせ、警官にも解決できないことを彼は解決する。 その他、誰でもいい、ヒーローを想像してみよ。 スパイダーマン ジェームズボンド しかし、もしそこに悪役がいなかったら? 世界が平和だったら? ヒーローは不要になるのです。つまり言い換えるなら、ヒーローの需要は不安定な社会にあるのです。 いわば、対位法だ。 悪役の存在がいるから、ヒーローは求められるのです。 悪を黒として、ヒーローを白としてみましょう。 黒いキャンバスの白い絵を描くと目立つものです。しかし白いキャンバスに白い絵を描いても目立たない。 薄い背景に白い絵を描いても目立たない。 しかし暗い背景に明るい色を描くと目立つのです。 レンブラントの技法だ。 映画では「ゴッドファーザー」の撮影監督がこれを真似していました。ゴードン・ウイリスです。 つまり、暗い世界に正義が活動するからそれは目立って見えるわけであり、 これと同じことが、我々が憧れるスターたちにも言えるのです。 我々の人生が曇っているから、我々は誰かに救いを求めるのです。自分の心を明るくしてくれそうな人間に。 星が輝くのは夜があるから スターが崇められるのは世が暗いから ここで考えてもらいたいのです。なぜ芸能やスポーツの有名人、著名人らを我々は「スター」と呼ぶのか? 彼らが輝ける存在だからです。きらりと光る存在なのです。 しかしこれも考えていただきたい。「スター=星」は夜に現れるものだということを。昼には見えないのです。存在するが見えないのです。 要するに、星が見えるのは夜が暗いからなのです。この点が重要だ。 我々の住んでいる地球、社会、が暗いから公に活動する者ら、特に我々の心に印象を与える人々が輝いて見えるわけなのです。 音楽家は魂に訴えるもの。 映画俳優は時に正義を演じ、時に庶民に身近な存在を演じる。我々は彼らを正義と勘違いし、彼らを身近な友達だと勘違いするのです。 現代にスターが数多くいるということは、現代が暗いからなのです。現代は夜〜闇なのです。 太陽を見出せ また「スター」という言葉に戻ります。なぜ彼らは「スター」なのか? なぜ「サン=太陽」ではないのか? それは彼らが絶大な輝きをしているわけではなく、きらりと仄かに輝くだけだということを示しているのです。 つまり、彼らがいるからと言って、世界から戦争がなくなるわけではなく、世界が病気から救われるわけではないからです。 言い換えるなら、彼らは夜に輝く小さな光に過ぎないということなのです。 また夜空には無数に星が輝きます。ということは、彼らのような存在は無数にいるということでもあるのです。つまり、彼らは特別な存在ではないのです。 しかし我々が真に求めるべきものは「太陽」なのです。 我々は太陽を見出さねばならない。 太陽とは世が平和になること。 中東、アフリカの紛争を失くすこと。 世が平等になることです。 一部の人間が突出して有名になったり、権力を握ったり、金持ちになることがないようにすることです。 そして意識して金持ち、権力者、有名人を崇めることがないようにすることも重要です。 高学歴者を「すごい」というのを止めること。国民の給与が平均に近づくようにすること。 総理大臣、天皇、大統領、国王、政治家、社長、諸々を無暗に尊敬することを止めること。 その地位にいるからと言ってその人間の人格が尊敬に値するとは限らないのだから。 テレビタレント、俳優、ミューシャン、などを持ち上げないようにすることです。 太陽とは世相のことばかりではない 人間の松果体は太陽です。 人間は愛と平等と平和を知らねばなりません。子供たちの教育にこれが成されるべきです。 「適切な知識」が与えられることによってそれを成すことが出来ます。 権力者、高学歴者を崇めてはいけないということ、 世界中の指導者、国王など偉くないと教えることです。 誰かを持ち上げることは、反対に誰かを蔑むことと認識するべきです。 人それぞれが自分を大事にし(セックスに於いて罪を犯さないようにし)、家族を愛し、誰をも蔑まず、金銭、学歴、地位などが優れているかといって、傲慢にならず 霊力に於いて優れているからと自己優位に浸らず、 世は平等であるべきだと知り、 他者を思いやる心を持った時、 その人の内に太陽が現れたことになるのです。 姓名判断・カウンセリング ![]() BACK Copyright (c) 2006 Yasushi All Rights Reserved counter from2018/2/6
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