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新しい言葉
(言葉を作ることによって社会を変えられる・「ネクロファゴ」〜死肉を喰う者)



キンドル版「愛の予言・宇宙の法則 第3集」




言葉とは

ヨハネの福音書にはこのようにあります、「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあり、神は言葉だった」。

この「言葉」とは“神の手足たる、力”のことです。そして我々人間にとっても「言葉」は、しばしば力と同じ役割を果たします。新聞の言葉、国連などの議会の言葉、文学・哲学の言葉によって人間は運命を左右されてきました。
つまり、言葉は人間が考えるほど無力なものではないのです。

人はとかく、腕力・軍事力を力と考えるものです。しかし、霊能力者が受け取るヴィジョンや、霊感からのメッセージはいわば言葉であり、我々が見る夢も言葉なのです。
そして、人間が肉体から離れて霊体となった時、我々が使う力は言葉=霊力なのです。

言葉の重要性

例えばある人がしょっちゅう、くしゃみをしたり、鼻水を垂らしていたとします。すると、彼の周囲の人々は彼を単なる「汚い人」「だらしのない人」と決めつけることになります。すると、その人は大変傷つき、その症状以上に苦しむことがあります。

しかし、ひとたびその症状が「花粉症」もしくは「アレルギー」という言葉で認識されるようになると、いわばその症状が市民権を得ることになるのです。すると、その症状の人は他人から白い目で見られることなく、また、治療法も考案されて行ったりもするのです。

このような例は、掴みどころのなかった問題や、これまで呼び名がなかったものに呼び名がつくことによって、問題がクローズアップされたり解決に近付くということなのです。

その他にも、これまで家庭内暴力はとりわけ呼び名がなく、日常茶飯事だったのですが、「ドメスッティック・バイオレンス」という言葉が出来て、その問題が社会で話し合われるようになりました。(以前は、「よくあること」として警察も取り合わなかった)

また、日常的な嫌がらせも「セクシャル・ハラスメント」、医師の嫌がらせや不正も「ドクター・ハラスメント」、上司の過剰権力も「パワー・ハラスメント」などと呼ばれるようになり、それまで泣き寝入りしていた人々が立ち上がれるようになったのです。

また逆に、普通の恋愛をしているつもりの人が「ストーカー」という言葉が出来たおかげで、犯罪者扱いされるようになったりもしています。
いずれにせよ、言葉が制定されることにより、それが社会を変える力を持つ、ということなのです。

変えられた言葉

新しい言葉というのは、初めの内は学校に転入してきた新入生のように馴染めないかも知れませんが、社会は比較的容易にそれを受け入れるようです。

日本では「スチュワーデス」のことを「フライト・アテンダント」、「助教授」のことを「准教授」と言葉を改めています。また、国が国名を改めることもあります。「ビルマ」を「ミャンマー」、ベトナムの「サイゴン」という町は「ホーチミン」に変わりました。また、法案によって出来た言葉も日常生活の中に組み込まれたりします。つまり、我々は新しい言葉に適応力があるということなのです。

であるなら、新しい言葉によって社会を変えて行くことも可能なわけです。上に述べたように言葉には力があり、我々には順応力があるのですから。それを利用して世を良いものにして、悪を改めるように出来るのではないでしょうか? 

変えるべき言葉



性の法則は“生涯一対一。姦淫してはならない”というものです。

しかし、現代に於いて、結婚前に姦淫しない聖徒が「処女」「チェリー」「童貞」という言葉で罵られています。すると、罵られた人は罵られまいとして姦淫に走る事態になってしまっています。

反対に、姦淫者を常人とみなす社会傾向にあり、姦淫者を「姦淫者」と呼ばないようになってしまっているのが現状です。
これが社会の闇を作っているのです。

それを解決する方法は一人一人が性の法則を学ぶことにありますが、もうひとつの方法が“言葉を変える”ことなのです。
つまり、結婚前の「処女」や「童貞」を他のきれいな言葉で呼ぶようにするのです。(例えば、「聖徒」「光の子ら」「神の子ら」というように) 
反対に、姦淫者を罵り言葉で呼ぶようにするのです。(例えば、「悪魔の子ら」「ベリアルの子ら」というように)

そうすることによって、過ちを犯す人が減るようになるかも知れません。

先生

日本では、教師・政治家・弁護士・アーティスト・医師・作家などが「先生」と呼ばれています。西洋では称号を持った人が「サー」と呼ばれ、大学の教師が「プロフェッサー」、医師が「ドクター」と呼ばれいずれも尊敬されています。

しかし、人間とは脆いもので、そのような称号で呼ばれると思いあがるものなのです。そして本来、全ての人は平等なはずです。(能力の高い人々は霊力を無意識の内に使っているに過ぎない。必ずしも偉大というわけではない・・・「あなたにも超能力がある」参照)

このように称号で呼ぶことは、人を傲慢にしてしまう、ということなのです。
果たして、大学卒の青二才が「先生」呼ばわりされて、思いあがらないでしょうか? だから、これらの称号も改めて行くべきなのです。



現代に於いて、「愛」とは男女の恋愛やセックスのことだと勘違いしている人々があまりに多過ぎます。
愛という言葉自体は美しい言葉なので変えずに残しておくべきですが、単なる恋愛と人類愛・兄弟愛の違いは認識できるようになるべきです。

ベジタリアン

肉を食べない人のことをベジタリアンと呼びます。現代では、彼らは少数派の変人と考えられています。
しかし、本来人類は肉を食べない存在だったのであり、地球のある歴史の時点でルール違反をした者たちがいて、そのままその悪習が習慣として現代に根付いてしまったのです。つまり、我々はこの悪習を元に戻すべきなのです。

彼ら肉を食べる人々は、大多数になってしまっていますが、元々は間違った存在なのです。しかし、彼らが大多数派なので、「肉食の人」のことを表す特別な言葉が存在しません。
ただ、スペイン語では「ネクロファゴ」という言葉があって、それは、「死肉を喰う者」という意味です。

このような語を広め、菜食主義者をベジタリアンと呼ぶのではなく、動物の肉を食べる人々の方を「死肉を食べる人々〜ネクロファゴ」などと呼ぶべきなのです。

カルマ

現代の人類の大半は、生まれ変わりを信じていません。そのため、自己の行った悪事が来世にまで持ち越され、罰が降りかかる事実を知らないのです。それが、犯罪や戦争・殺人・暴力の原因でもあるのです。

もし、人類がその事実を知れば、犯罪は激減するでしょう。いや、戦争・殺人が地上からなくなりさえするでしょう。

さて、もし「カルマ」という言葉が日常的に使われるようになったら、その時は人々がその意味を知っているということになり、自己の行いに責任を持つということになるわけですから、世は一変するでしょう。
このようにカルマという言葉の意味を知り、日常的に使うことは非常に大切なことです。

それによって起こる変化

人間の言葉は流動的です。人間がどう決めるかによって変わって行きます。

地球はかつて、聖書のバベルの時代まで世界共通語だったのに、各国語に分離してしまいました。新しい国語を持った人々は、思い思いに言葉を作り、発展して行ったのです。

日本が書き文字を持ったのは、西暦五百年頃で、中国語を流用したのです。以後、無い文字は適当に創作されました。
だから、現代にもいい加減な言葉は引き継がれているのです。

そして、未来も流動的なのです。人間は悪い言葉は改めて、良い言葉を残して行かねばならないのです。





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