| HOME 他国に干渉すべきか 人は正義であるべきか、そうでないか 他人を蹂躙してもよい、他人がどうなってもよい、自分だけよければそれでよい、 そう考える人も地上にはいることでしょう。しかし、ここではそのような人たちのことを度外視することとします。 そのような人たちというのは、議論の土俵にすら立っていないからです。 自然破壊をしてもよい、犬猫を殺してもよい、という人たちは、彼ら個人の人生で、人生という名のレッスンを受ければ良いだけの話です。 ここではそうではない人たち、正義の人たちについて考えてみます。 世界では、たとえばシリアで独裁者が自国民に対し毒ガスで無差別に大人も子供も男も女も殺す内戦があった時、それを放っては置けません。 自国が他国に攻撃されたというわけではないけれど、人道的視点からそのようなことはあってはならないからです。 そこで実際にどのような策が講じられたかというと、アメリカや欧米の連合軍が、シリアの軍に対し、攻撃=市民を助けたということがありました。 完全に独裁者を駆逐したわけではありませんでしたが、一時的に攻撃したことがあったのです。 それは国際的に見て、人道に反することを独裁者が自国民にしていたからです。 では、他国である欧米の連合軍が勝手に首をつっこむことは余計なおせっかいだったのか? そうではなく、そうでもあると言えるのです。 例えば、お隣りで子供の泣きわめく声がして、大人の怒号が聞こえる。明らかに虐待がある場合、その子供の身になってみると、助けないわけに行かないではありませんか。 中国ではかつて路上に倒れている人がいても、通行人は無視していました。人道的な心が彼らには欠如していたのです。 ただ、彼らはトラブルに関わって、自分も警察に関わることを極端に嫌っていた、という部分もあります。関係なくても軍事的警察に調べられることは不快ですから。 しかし近年はその傾向も変わって来ており、彼らもお互いに助け合うようになっています。 そのように人がお互いに助け合うということは、絶対的に必要なことです。 であるなら、隣近所で虐待の疑いがあった場合、通報して子供を救うことは必要なわけです。むしろ、人がお互いに助け合わない社会になってしまったら終わりです。 では、お隣の国で不穏があった場合、同様にすべきか? たとえば北朝鮮で人民が独裁者に迫害されている場合、他国が首を突っ込むべきか? 人道的に考えるなら、北朝鮮市民を助けることは必須と考えられます。 しかしそこには国際問題という壁も現れることも事実です。 先のシリアのように攻撃すべきなのか。市民が殺されていることを見るなら、普通の心情では放っておくことはできません。 シリアに限らず、内戦が続く中東の情勢を何とか改善させてやりたいという日本人もいることでしょう。 むしろ、それをしないことは「罪」に等しいという強迫観念に捕われる場合もあるかも知れません。 そしてたまに日本人が戦地に入って、ジャーナリズムや、国民の援助などを行っています。 しかし、神の視点からはどうか? それは正しいことなのか? 人助けをしているのだから正しくないわけはないのです。 しかし疑問もあると言わねばなりません。 霊界の住み分け 以前にも申しましたが、霊界では住み分けが成されています。 生前、どのような行いをしたかで死後の霊体の住処が分けられるのです。 どういう意味かというと、たとえば、この人生で善人として人助けをし、裏表なく慈悲の精神をもっていた人たちは高い領域に昇るのです。(これは宇宙領域のことではなく、霊界内でのこと) そこで考えてもらいたいのは、人を苛めたり、圧して来た人たちは、彼らに混ざるべきでしょうか? 大人しくて傷つきやすい子供たちの中に、乱暴で横暴な子供たちを混ぜた場合、大人しい子供たちに悪影響があるかも知れません。 現実の世界でもそのような子供たち(高校生くらいまでのこと)がいたら、退学させられる場合もあります。 ですからこのように、霊界でも邪悪な資質を持つ霊たちは、善良な霊たちと混ざらないように住み分けられるように出来ているのです。 その霊体の質によって、同じような資質の霊が集まって住むのです。 乱暴な人たちは乱暴な社会に住むというわけです。彼らがそれを望んだのだから、そうなったということです。 それは地球でも、同様に行われているのです。 地球の大陸、国によって霊は住み分けられているのです。だから「国民性」というものがあるのです。 また、こう言ってはなんですが、「善」と「悪」に分けられなくもありません。悪というと差別となり、みもふたもありませんが、実際、邪悪な資質を持つ国民が多く転生している国もあります。 アフリカのある国々は、殺人率がとても高く、邪悪と言えます。 インドでも人口が過密で、お互いを押しのけ、インドマフィアなどもおり、近年文化が発展したものの、心はまだ未発達の人が多々います。 メキシコでも残酷な殺し方をするマフィアがおり、中東の国々では人質の首を斬る残酷な処刑を行ったりしていました。 それらは大人しい国民が住む国々では考えもつかないようなことです。 つまり、住む国々で霊の資質の違うもの同士が集まっているからそのようになっているのです。 日本人は神経質で、大人しい、規律を守り、礼儀正しい(もちろん悪い資質も多々あるが) 中国人は細かいことが得意、しかし大胆な所が日本人と違う 彼らは犬でもセミでも何でも殺して食べる 言語も英語のような文法で、巻き舌の発音があるのが欧米に近い。 英国人は紳士で、正装し、食べ物は質素、文化を発展させている。 アメリカ人は放埓、大胆、しかし高い技術力を持つ、型にはまらない考え方をする、性には奔放。 などなど、国によって確かに、性質があることは簡単に考えても歴然としているではありませんか。 それは国独自の教育や環境がそうさせているだけではありません。もって生まれた魂たちの資質があるからです。 同じ家庭に生まれ、同じように育てたのに兄と弟では性格がまるで違うことがあります。 それも彼らが生まれる前から持って来た魂の資質ゆえなのです。 このようなことが国ごとにあるのです。 ということは、好戦的な国はそのような霊がたくさん転生していることも考えられます。 そして、魂が国によって生まれながらに住み分けされていることは、神の計画であり、混ざらないようにさせるための配慮と言っていいのです。 ここで考えていただきたいのは、ベトナム戦争にアメリカは参戦すべきだったかということです。 答えはノー。 元々、アメリカとベトナムは全く関係のない国でした。しかしアメリカの同盟国であるフランスがベトナムと戦争を始めたため、アメリカはフランスの援軍として参加。やがてアメリカとベトナムの泥沼の戦争となってしまったのです。 多くのアメリカ人、ベトナム人が犠牲となりました。 ここに他国の問題に首を突っ込んではならないという法則が見えます。 中東やアフリカにボランティアに行った日本人で殺された人も大勢います。行かなければ殺されなかったのです。殺されることは彼らの運命ではなかったはずです。 では、放っておいたら良いのか? それが人道か? 答えは、できるだけの活動をする、というもので、しかし直接かかわる必要はないということでもあります。 日本が江戸幕府だった時代、キリスト教徒は弾圧されました。多くの人たちがキリスト教徒というだけで殺されたのです。 そしてそんな時代に日本に来た宣教師たちもいます。彼らも弾圧され、殺されもしました。 では彼らは日本に来るべきではなかったのか? イエス。 布教であるなら、何か別の方法を考えるべきでした。 UFO 原発事故があった時、上空にUFOがよく観察されます。 それは他の高度な星系に住む人たちが、地球の様相を心配して来ているからです。 しかし彼らにも同様のジレンマがあります。直接援助が出来ないということです。 なぜ宇宙人たちが「我々は宇宙人です。地球のみなさんこんにちは」と来ないのかというと、もし彼らが顔を出したら地球人に監禁され、殺され、解剖されるからです。 ですから彼らは彼らなりに、地球のトラブルに対処してくれているわけなのです。 ワイス ブライアン・ワイスは前世療法で有名な精神科医ですが、今生でも随分同業者から白い眼で見られました。しかし彼が前世の存在を世界に知らしめた業績は非常に大きいものでした。 それでも彼は前世で、転生の思想が否定されている社会で、強引にそれを唱えたために殺された人生があったのです。 つまりはタイミングです。今生はそれが出来たわけです。 何も来世にまたがらなくても良いかも知れませんが、タイミングというものが大切でもあります。 強引に危険に飛び込むのではなく「鳩のように素直に、蛇のように賢く」 どこかの国が弾圧されていた場合、無視するのではなく、上手に時代を見計らい、何らかの方法で試みるというのが良いのだと思います。 タイミングと間接援助 人道的には誰しも窮地にある人たちを助けるべきです。 しかしそれにはタイミングというものが大事であり、また直接援助が出来ない場合、なんとか間接的に援助するべきなのです。 もちろん、全く心を痛めないというのはよろしくありませんが、うまく宇宙の思惑を考慮し、上手に介入するのが良いと思われます。 姓名判断・カウンセリング BACK Copyright (c) 2006 Yasushi All Rights Reserved counter from 2021.12.2
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