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霊は平等

(あなたは今、試験を受けているのだ・人生の目的はエゴを捨て愛を持つこと)


断捨離 生前整理

子を持たない人が増えています。
自分が死んだ後に、財産や家の中のガラクタを少しでも整理しておきたい人々がいるのです。
実際、孤独死などをして、家の中の家財道具を捨てるのに非常に費用がかかったり、残された身内の人が難儀したりしているといいます。

昔は、大家族で、1つの家に子供も兄弟も多いもので、彼らは家主が死ぬと財産相続などをしたもので、横溝正史の小説ではしばしば人間たちの財産分与争いを題材にしています。

そのような時代には自分の死後のことなど気にしなくても良かったかもしれません。
そもそも人は自分が死んだ後のことなど想像もしたくないだろう。それに何より、死んだら後のことなど気にする必要などないということです。

しかし最近の人々は違う
結婚できない男女が増え、結婚しても子供を持たない人も増え、女子家庭では男の世継ぎがいない場合もある。墓仕舞いをしなければならないというわけです。

そうすると、自然と自分たちの家を出来るだけ身軽にしておきたいという心理になるようです。

彼らは特別、死後の世界云々と言っているのではなく、物理的な考えをしているのだが、
しかし、我々は時代が変わり、死後の世界についても考えねばならなくなっていると、私は思うのです。


人間のエゴはガラクタ

ところで、人間という存在にもガラクタがつきまとっていることを皆さんはご存じだろうか。

それは人間にとっては邪魔な、精神的なもののことです。つまり、人間は死んだら無になるのではなく、霊体になるということで、死が終わりではないということです。

そして死んだ後も心は残り、ある種の思考は残り、霊的な体を持って活動を続けることになるのです。

しかしその際、生前に整理されていないなら、ガラクタも残るというわけなのです。
人間は確かに物質を持っては行けません。あらゆる物質、財産もお金も、車も家も服も、コレクションも、肉体ですら、霊界には持って行けないのです。

さぞかし、すっきりすることだろうと、皆思っているに違いありません。
しかし皆、忘れています。というか、考えもしないのです。

人間は死後、物質は持って行けないが、肉体を持った人間だった時の資質というものは持って行くということを。

持って行くというかついて回るものなのです。しかもそれが悪い資質だった場合のことを想像していただきたい。それはいわばガラクタなのだ。


具体的には

他者を見下すこと 〜一部の東大生は自分たち以外を「人間」ではないと思っているらしい

政治家たちは「国民」を駒だと持って、自分たちを選ばれた存在だと思っている

テレビ社員たちは、自分たちが世を動かしていると思っている

財界人たちは、最下層にいる人々など見向きもしない 〜つまり慈悲の心、精神を微塵も持っていない

優位にある人々、金持ち、権威者たち、彼らは皆大なり小なり、そのエゴを持っている

ある人々は言うかも知れない。私は多大な寄付をしたことがある、私は善行をしたことがある、と。

しかし私は言う、「したことがある」では不十分なのだと。
精神を込めて、人生をかけて、最下層の人々、精神的にも物質的にも恵まれない人々、親を失った子共たち、などに全身全霊で常に尽くさねばならないのです。

さらに自分自身は清貧を貫かねばならないのです。それが出来ているだろうか? 
驕りを捨て、常に全身全霊で尽くし、かつ自分は清貧でいるのだろうか?

そうならその人は神が認めてくれるはずだ。しかし現代地球人で優位にある人でそのようなことをしている人は皆無だろう。

そしてそれは彼らがガラクタを溜めこんでいるということなのです。


人間は死んだ後に何も持たない 正にブッダの教え

ブッダは人間が何も持たないことを提唱して来ました。
所詮、それらは物質なのだから、人間はあらゆる欲得から自分を遠ざけねばならないと。

「色即是空」というのは、(私は仏教用語など知らないが、「色」というのは物質のことだそうだ)
つまり、「物質というのはすなわち、これ、空〜くう〜である」と言っているわけです。物質など無きに等しいと。

しかし私が補足しましょう。

人間は自分が普通に生活するためのお金を持っても良い。食べるものも切り詰める必要はない。服も、家も。
しかし、やり過ぎは禁物だ。必要以上の贅沢をし、必要以上のものを買い、必要以上の生活をする、
それは罪となるのである。そしてそれはエゴなのである。


人間は死後、あらゆる持ち物を持たないものではありませんか。腕力も持たない、お金を自慢することも出来ない、背の高さや容姿を自慢することも出来ない、

かつて学歴や財産や地位を誇っていた人々は、霊界では自分を誇るものを何も提示出来なくなるのです。
それだけではない。生前、自分の地位を誇り、財産を自慢し、他者を顧みなかった人々は自分の霊としての格を落とすのです。

そうすると、霊界というのは魂の格によってクラス分けされているので、地位や財産を誇っていた者らこそ(政治屋どもや、東大生らども、空威張りした医師や警官、役人など)、低いクラスに入れられるのです。

ブッダが言っていたのは、単に財産や物質を捨てろ、と言っていたばかりでなく、
むしろ、それらを持つことによって生じる「心の驕り」を捨てろと言っていたのです。
そうしないと霊界で恥をかくことになるからです。


「霊界? 死後の世界? そんなもの関係ないね」という人もいるかもしれない。
「私は転生を信じない」「霊界など信じない」「仮にあったとしても、今の方が大事だ」と。

〜今を大事にしたら良い。
しかし「大事にする」の意味を取り違えてはなりません。自分のエゴを育てることが自分を大事にすることではないのだから。

人を見下す者は他者から見下されることになる。
人を愛さない者は、他者から愛されない。エゴイストたちは愛されないということ。
それでもいいのだろうか。

心でそう思っていても口で言わないで騙せばいいのだろうか。


・エジプトのピラミッド=クフの墓と今の人が言っているものは、学校の試験では「クフ」と書くと正解とされる。しかし事実はクフではなく「ラー」なのです。
高学歴とは事実と間違ったことでも「社会」がイエスというものに従う愚か者たちだ。

・聖書の一字一句を良く知っていただけで、自分を偉く見せ、信者らを教えていた牧師は、霊界で暗い世界にいた、とは、エマニュエル・スウェーデンボルグの言だ。

つまり、霊界では偽りは通用しないのです。



惑星は学校である しかし地球は試験場なのだ

我々は実はテストを受けているのです。
皆、机に座り、答案用紙に解答を書いているのです。校長は神であり、試験官は天使たちだ。
これは例えではなく、事実なのです。

そして答案用紙にはこう書いてあります。
問:「他人を見下すことは正しいか?」
誰しも「正しくない」と書くだろう。しかし、エゴイストたちは「正しい」と書いているのです。

「愛を持つべきだろうか?」という問題には
本来、誰しも「そうだ」と書くところだが、愛のない人々は「愛など持つ必要はない」「自分さえよければ良いのだ」「苦しんでいる人々など放っておけばよい」
と答案に書いているのです。

そうするとどうなるだろうか? 
彼らは試験に失敗するのです。そうすると彼らは死後、学校に送られ、いくつかの学校で数十年学んだ後、数百年後に、また試験場で試験を受けることになるのです。

「愛を持つべきだろうか?」
「あなたはエゴイストであり続けるべきだとうか?」という試験問題、答案用紙=人生、が渡されるのです。
そしてあなたは人生を送りながら、自分の言動を通して、その答案用紙に記述するのです。


人間は自分のエゴを持っているべきだろうか

人生というのは「時間」で成り立っています。そしてその時間というものをどのように本来、用いるべきだろうか。
勉強に明け暮れ、高学歴、高収入、高地位のためにそれを用いるために時間があるのだろうか。

いや、それは自分のエゴを駆逐するために、実は存在しているのです。

年を取って、強欲な悪人の政治家たちは時間を無駄にしているのであり、試験に失敗しているのです。

以上のようなことは、本来、誰も知らないことです。一部の霊能者は概要を掴んでいるだろうが、宗教家はむしろ、エゴイストそのものになってしまっています。

以上のようなことを教えられるのは私が「預言者」だからです。「神の言葉を預かっている」人がこう言うのです。
聖書風に言うなら、以上のことは「ヤハウェが言ったこと」なのです。








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