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ブッダが言う、もっとも大いなる教えとは何か

(八聖道とは何か)



人間にとって守らねばならないこととは

人間は単に生まれて来るのではありません。理由があって生まれて来るのです。

しかし現代人の多くがその理由を知りません。彼らはただ飲み食いして、生きている間にできるだけ他人より有利な ことをして一生を逃げ切れば良いと考えます。

そして「私は知っている」とうそぶく人間たちに限ってそれを知らないものなのです。
特に、博学を鼻にかける人、哲学を学んだ人、宗教家~仏教僧侶たち、キリスト教司祭たちなどです。

しかし、地上の人間たちが知っていようがいまいが、それは歴然と存在するわけで、それが宇宙というものなのです

そしてそれは何かというと、ここで私が簡単に解き明かしてしまいましょう。

人生の意味

人間が生まれて来た理由は「愛の存在になること」です。

ただ、宇宙の真理とは一言で言えるくらい単純なことであると同時に、人間の頭では想像できないくらい複雑で深遠 なものでもあるのです。だから愛と一言で言ってもその言葉の中には無数の意味あいがあるわけです。

1つには、他者をおもいやること。
自分自身=エゴを捨て、他人を思いやること。そして苦しんで泣いているような 人々を助けること。窮地に陥っている人々を助けること。
礼儀正しくあること、謙虚であること、大金持ちは分け与 えること、
そして誠実であること、セックスに於いて清くあること、などなどです。



なぜ世界の歴史上、聖者と呼ばれる存在がいるのか

ところで、地上の人間たちは、以上のようなことを知らないし、今、聞いても「聞かない」でしょう。
つまり、聞か なかったかのように無視するということです。

なぜなら、彼らは難しいことはしたくないし、大人しくじっとしていることが出来ず、自分勝手なことをしたくてたまらないからです。

そのため、彼らは不都合なことには耳を閉ざし、「くだらないこと」と一蹴するのです。
こうしていつまで経っても彼らは改心せず、彼らは自分自身の欲を満足させるためだけに行き、自分を正当化させるために世間に誤った情報を吹き込み続けているのです。

聖人

しかしそのままの状態では、地球は地獄と何ら変わらない地になってしまいます。

そこで天からの使いたちがそれを正すためにたまに(数百年、数千年ごとに)地球を訪れたりするわけです。

それは太陽系を担当している天使の場合もあるし、上級天使かも知れない。神自身が具現することもあります。
そして彼らの活動が社会で見出された時、それが宗教になったりするのです。

現代社会にはびこる新興宗教のことではありませんよ。一般的、キリスト教、仏教、イスラム教などのことです。古 くはゾロアスター教などもそうです。おそらくシク経も。

そして上記のように宇宙の真理とは、一言で言えるくらい単純なものなのですが、同時に人間の頭では理解できないくらい深遠なものです。

そのため、彼らは人間たちに言葉を尽くして教えねばなりませんでした。このため、残された経典は非常に難解なものになっているのです。
(加えて、人間たちが後に書き加えたり、改稿してしまっているため、一層、難解なものになってしまっている)

しかし、その難解なものの中から、人は本質を知りたいと思うものです。
それは何なのか、キリストもブッダも述べていますので、それを紹介します。


もっとも大いなる教えとは何か

キリストの教え

キリストは最も偉大な教えは何かと問われると、同朋を愛すること、と答えました。

マタイ22.34 マルコ12.28 ルカ10.25によると
「心を尽くし、精神を尽くし、主を愛する」
「隣人をあなた自身のように愛せ」

しかしもちろんこれは単純なことではなく、人間がお互いに傷つけ合わず、助け合うことは言うは易し行なうに難し ことです。それでも究極的にはこのようでなければならないわけです。

ルカ18.18ではこのように言っています。
「姦通するな」「殺すな」「盗むな、偽証するな」「父母を敬え」「持ち物を貧しい人に分け与えること」


ブッダの教え

ではブッダは何と言ったのか?

「大般涅槃経」の中でこのようなシーンがあります。
ブッダが危篤状態にあると聞き、訪れた僧がいました。彼にはどうしても知りたいことがあったからです。
ブッダが 亡くなった後では聞けないので来たのです。

そしてブッダの警護の人に幾度も止められながらも、彼はブッダに謁見することが出来ます。

彼の問いとは、
修行者の内、誰が悟ったのかということでした。
言い方を変えるなら、彼は誰が一番偉大かと問いたかったのでしょう。

しかし、ブッダはそんなことは重要なことではないと言います。そんなことよりもっと重要なことがあると。
それは

「そもそも教えを説くに“八つの聖なる道”がなければ何にもならない。反対に八つの聖なる道を求めるなら、本当の真理を学ぶことになるのだ」と。

そしてブッダの説く法に従えば八つの聖なる道を得られる、という。

さて、ではこの「八聖道」とは何かというと、
経典のこの部分には出て来ません。具体的に八つの教えがあって、そ
れを実践しなさいとブッダは言っているのだな、と誰しも思うことでしょう。

そしてこのようなことは、経典の他の部分に書いてあったりするのです。
そこで、研究者らはしたり顔でそれらをつらつらと述べ、
「私こそは仏教の専門家だ」「私は偉大な僧侶だ」などとほくそ笑んでいるのでしょう。

しかしそのような人間たちこそ、ブッダがそんなことは重要なことではない、と言った部類の人々なのです。

つまり、私見ですが、「八聖道」とはそのようなものではないのです。
仏教の経典は多くの文書をつぎはぎして成っている書です。その中には後代の人々が書いた部分も多分に含まれています。

そして上記のように「八聖道」について具体的に八つの項目を挙げているのは、偽書であると私は見ます。いや、偽書とまでは言わないかも知れませんが、あまり高いレベルでは書かれていない部分であると思うのです。

・・・では、私の解釈というのはどういうものかというと

「八聖道」とは、
人間が性の戒律を守ることを指しているのです。

要するに、ブッダはいろいろな知識を持っていたり、宗教的身分が高いことより、まず第一にセックスに於いて清い人間でなければならない、と説いていたのです。

どうでしょう。
もしここに知識豊富で、高い身分の僧侶がいるとします。しかし彼が信者の女に手をだしたり、多くの愛人を持っていたりしたら。
彼のあらゆる徳は無に帰するのではないでしょうか。

それくらいセックスの問題は大きいものであり、僧侶のみならず、全ての人間にこれが言えるのです。

そして、それを守った上でその他の学ぶべきことが徐々に有効になって行くのです。すなわち、あらゆる修行、あらゆる人間の向上の土台となることが、まず、性を清めることにあるというわけなのです。







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