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自己優位性(プライオリティ)こそ諸悪の根源である
(人間が存在する理由)



人間 性善説

魂は元々善なのです。なぜなら、神によって創られたからです。
全ての魂〜というと人間は狭い了見で地球とか目で見える範囲の星を想像するでしょうが、全宇宙の全ての魂が原初に神によって創られたのです。

想像してみてください。
そのようなことが出来るわけない、そのようなことがあるわけないと言う前に、アトランティス時代には実に様々なことがありました。

半人半獣、巨人、小人もいれば宇宙人も地上を闊歩していたのです。
そして多大な霊力を持つ人間もいたわけです。そのような人間は何もない空間から物質を現すことも出来ました。

無から作るのではなく。空間にある水、水素、窒素、などなど目に見えない物質から固体を創出するのです。
それはあたかも現代人から見たら手品か魔法のように見えたことでしょう。

ではなぜ彼らがそのような魔法を持っていたかというと、それは彼らに神の属性の力が与えられていたからです。
ということはそもそも彼らは神の真似ごとをしていたわけで、神には本来、無から創造する力が備わっているということなのです。

宇宙は何の根拠もないビッグバンで成ったわけではなく、魂が自然に出来上がったわけではありません。神の意志の力がそれらを意図的に作ったのです。
ですから、完全な善である神によって創られたそれらは善なのです。

しかし、同時にそれらは悪でもあります。
矛盾していますが、それは神に創られた無数の魂たちの中に生来の悪がいたということなのです。

言い換えるなら、魂というものは元々善だったのに悪に転じた、というわけではなく、無限の多さの彼らの中に、一部、反逆児たちがいたということなのです。
そのはみ出し者たちが「元々善だったのに悪に転じてしまった者ら」なのです。

それのごくごく一部がこの銀河系に下っており、その中のさらに一部がこの太陽系におり、その中の地球という惑星に転生しているということなのです。

エゴイズム

ではその悪とは何かというと「エゴイズム」なのです。
エゴというのは
“自分中心主義”のことです。
自分を優遇して他人を顧みないこと、それがエゴです。
ですから、暴力も、無慈悲も、あざけりも見下しもエゴの一種なわけです。

エゴとは自我のこと〜自分さえよければ他人はどうなってもいいという心

諸悪の根源はエゴ
他者を軽するということで、愛がないということです。

つまり、諸悪の根源であるエゴの反対語は愛なのです。
愛とはつまらない恋愛ソングのようなものではなく、身を呈してでもある人を救いたいという心のことです。

ある父親は娘のためには命を惜しまないと言います。ある子共は親を助けるために命をかけます。ある夫婦にはセックスを超えた愛情があります。
それらはあなた方にもあるのではないでしょうか。

そして本来そのような心は教えられなくても魂に備わっているはずなのです。誰の心の中にもそれはあるのです。

ただし、それには個人差があって、ある人は深く掘り下げないとそれを見いだせない場合もあります。だから教育が大事なのです。
これは子供の学校教育に倫理が不可欠だと言っているのであり、また同時に大人たちにも新しい倫理教育が必要だということでもあるのです。
それは宇宙の摂理、法則を提示してやることです。

自我〜人間が存在する理由

人間の本来の姿は魂という霊体です。
そして、その魂は意識を持っているのです。

しかしその中には悪が含まれているため、魂は魂本来の意識と邪悪な意識を切り離し、その邪悪な部分を矯正し、神に近い意識を再構築することにしたのです。あるいはそのようにさせられたというべきか。

その邪悪な意識こそが「自我」なのです。

そして自我を持つということは魂が肉体化するということで、
魂は自分の意識から自我を切り離すために、地上で肉体化し、自分本来の意識=超意識を持てない状態で、地上で自我を持った人間として生きるようになったわけです。

であるから我々人間という存在は、自我に閉じ込められ〜自分の過去生も未来も見通せず、霊力も持てず、自我という闇の中で、人生を模索しなければならなくなったのです。

しかも、ただ暗闇で模索するだけでなく、その中で自我という悪を矯正し、全き善=神の意識に出来るだけ近づかなければならなくなったのです。

「神のような意識を持つ〜神のようになるなんて出来ないよ」と誰しも言うでしょう。
それは法王のように性に清く、物欲、食欲、など俗なものを控え、毎日清貧であらねばならないからです。
しかし、完全でなくてもいいのです。

「できるわけない」「できないよ」などと言っていないで、出来るだけでいいから近づくようにすることが人生の意義なのですから。

それはセックスをしてはいけないということではなく、性欲を持ってはならないということではなく、食べるな、物を持つなということではなく、

性欲を持っても、正式な愛するたった一人の伴侶を持つことで、食欲も物欲もほどほどにして、余剰は恵まれない人に与え、平等性を見出し、他国、他人と争わず、そのような道を見出し、見出す努力をするということなのです。

またこれは自己優位性のことでもある

エゴというのは言い方を変えると「自己優位性」ということも出来ます。この言葉を皆さんはよく覚えておいてください。これは人間の「敵の名」です。

人は何かと戦う時、敵の情報を出来るだけ持っていた方が有利ではありませんか。
闇雲に自分が何と戦っているかを知らずにいるよりも、相手の目鼻が見えている方がずっと戦い安いものです。

「自己優位性」これがあなたの「敵の名」です。

それは
人より先んじようとする心であり、全ての人間の悪はここに帰結するのです。

英語ではpriorityといい、
またはSelf-superiorityと言います。

例示

スポーツは、特に球技は相手を蹴落とすためのものです。ゲームというのはそのようなものです。
相手が嫌がることをお互いにして、相手に嫌味なことをしたものが勝者となるのです。
あたかも人生のようですね。

地位を得る時の方法がこれに似ています。試験を受ける時、人は他人にテストに出そうな情報や自分が有利になる情報を教えません。ライバルにそれを教えるのは愚か者というわけです。ライバルは敵ということではありませんか。

ほら、既に自己優位性が出て来ているでしょう? 
しかも人間を教育する学校という場がこれを人間に教え、強要しているではありませんか。

スポーツを指導する愚かなコーチはあたかも敵を負かすこと、ゲームに勝つことが人生に勝利することのように選手に教え、いかに他人より上にのし上がることが大切かを教えるのです。

どのようにしたら平等になるかではなく、いかにしたら他人を踏み台にして自分だけが優位に立てるかを教えるわけです。それこそが人生の勝者だと教諭らは教えるのです。

それは教諭らが倫理を知らないからで、彼らが宇宙の法則を知らないからに他なりません。こうして世間にモンスターが解き放たれるのです。

政治家、警官、教師、弁護士、官僚、医師、企業家、
皆、金銭を求めることに躍起になり、人を見下すことが人生の勝利だと信じているのです。



人間、つまりこの地球に住むものは皆、この自己優位性を持っています。言い方を変えるとエゴイズムです。

いやこの地球に住むもの、地球人だけではない。この太陽系に住む魂たち皆にこれがあるのです。
(この太陽系内の全ての惑星に魂は住んでいるのだ。〜地球だけではない)

そしてさらに、この銀河系に住む全ての魂たちにもこれが付き纏うのです。
人間=魂というものの諸悪の根源がこれなのです。
だから我々、魂はこの銀河という低い領域に落とされているのです。

これを誰も実感していません。そう「だ〜れも!」。だから預言者はこれを「教えている」のです。
一体誰がこれを手に取るように実感しているでしょう。「自己優位性が諸悪の根源だ」と。

周囲を見てごらんなさい。
他人より高い学歴が欲しい。他人より高収入が欲しい。他人よりよい外観が欲しい。社会に認められたい。世間に認められたい。出世したい。世に名をとどろかせたい。
これらは皆、自己優位性なのです。それに他ならないでしょう。よくよく考えてみてください。

学校で教えること

現代、学校で世に出ることは悪いと教えていません。そう、世に出ることは良いことです。
しかし、やり方が問題です。

世に出て、他人より突出して、それからどうするのか? 
他人を押しのけ、踏み台にしてまでのし上がることが「悪い」とまでは学校では教えていません。

つまり、世に出ることはいい。金持ちになることもいい。
しかし、世に出たらその名声、社会的力を使って、世界を改善する行いをしなければならず、エゴを捨て、持てる金を社会の底辺にいる人々のために使わねばならないのです。

反対に、ただ世に出て自分の偉さに酔ったり、謙虚さを失うようでは、それは「悪に転じる」ことに他ならないわけです。

果たして、世の金持ちたち、有名人、地位のある者ら、に少しでも傲慢さ、他人を見下す資質がないと言えるでしょうか? 
つまり、彼らには多かれ少なかれ、それがあるのです。

それは彼らが〜彼らのある部分が悪に転じているということになるのです。
そして悪に転じた部分のある者は、その魂は、転生を余儀なくされるわけです。

「転生」というのは「やり直し」のことであり、彼らはそのエゴを無くすまで、転生を続けなければならなくなるのです。

実社会

高学歴者 

人々は有名大学を目指します。しかし、彼らはその学歴を持ったらどうするつもりなのか。
ただ「入ったら鼻が高い」というだけでしょう。

将来、高い地位に就ける。他人を見下せる。金が入る。人生の勝ち組に入れるということなのでしょう。

しかし本当の問題は、世の中の役に立てるか?という点にあるのです。
その知識、経験を使って、世界の不平等、貧困、病気、苦しみ、などを解除する一助を担えるかが本当は問題なのです。
それを彼らは果たしているでしょうか。

スター・歌手・役者・スポーツ選手 

人々、あなた、私、が憧れるスターたち。我々は無条件に彼らを持ち上げ、特別にすばらしい人と捉えがちです。

しかし、神の目線から見ると彼らは「道化師」以外の何物でもないのです。
おかしなメイクをしておかしな踊りをして、恥をさらしているピエロなのです。

彼らの仕事の中には人々に希望を与える部分もあるでしょう。そう、なぜなら、彼らのパワーは神から奪っているのですから。
その神聖な部分こそ我々を熱狂させ、我々を虜にしているのです。
しかし、それを引き出している彼らはただの人なのです。

そしてただの人なのに、奪って来た金銀財宝(才能のこと)を身につけ、着飾り、他者を魅惑している、というのが彼らの正体なのです。

ですから、彼らが行なっていることはつきつめると、
「自己顕示欲」ということになるのです。

医師・弁護士・教師・警官・官僚・全ての成功者 

彼らもある意味、神がかっています。それは上記の通り。
彼らが神から権威を引き出しているからです。
だから、我々は彼らを特別視し、彼らを持ち上げざるを得ないわけです。

そして彼らの働きは時に尊いものなのですが、問題は彼らの中に庶民を見下す心はないか、傲慢さはないか、ということです。
少しでもあるなら、彼らはその人生を失敗していることになるのです。



もし人より先んじて良いことがあるならそれは善行

では、果たして決して人より先んじてはいけないのか。
それは志次第です。

もし権力と栄誉と自己優位性と自己満足のためだけに勝利しようとするならそれは間違っていますが、その地位を通じて人助けができると考え、そのように実行するならそれは良いことなのです。

マザーテレサがノーベル平和賞を敢えて受け取ったのは名誉が欲しかったからではなく、金が欲しかったからではなく、
それを受けることによって、活動が世界に報道され追従する人が増えることを願ってのことでした。

だから、もしあなたが他人より先んじていいのは、そのようなケースであり、
もしあなたが善に於いて他者より先行しているならそれは褒められたことなのです。

例えば、僻地の難民を助けること
孤児や病気の人々を助けること
何億、何十億、何千億、兆もの余剰の財産を持っている資産家は、他の資産家がする前に、資産の大半を人命を救う活動にあてがうなど

私はあなたより多くの金を持っているよ、あなたより先にセックスした、あなたより先に卒業した、あなたより先に地位に就いた
というより、

あなたより多くの人を救った、あなたより先にボランティア活動をしている、あなたより多くを献金している、あなたより多くの人を笑顔にした、
これらのような「先取り」は、むしろ良いことなのです。




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