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神には意思があって心がある
(神が存在するなら、なぜ苦しみがあるのか・神が存在するならなぜこの世の苦しみを放っておくのか)



キンドル版「愛の預言・宇宙の法則 第5集」



世間の疑問

「神が愛の存在で我々を守ってくれるなら、なぜ地獄があるのか?

神には悪を防ぐ意思はあるが、その能力がないからか? 〜それなら神は全知全能とは言えないではないか。

神に能力はあるが助ける意思がないなら? 〜それなら神に悪意があることになる。

意思も能力もあるなら 〜それならどこから悪がやってくるんだ?

神には意志も能力もないのか? 〜では、なぜ神と呼ぶんだ?」

以上のようなことが、世間一般の神に対する疑問です。

神とは

神とは永遠の存在で、愛のみの存在です。時間も空間も神の前にはありません。
神が宇宙を創造する前には、時間も空間もなかったのです。神のみが存在していました。
その神が宇宙と魂群を創造したのです。

ではなぜ、神は不完全な人類というものを作ったのか?
なぜ、人類が苦しんでいるのに助けてくれないのか?
なぜ大きな力を持っているのに、それを行使しないのか?

個々の答え

問:悪を防ぐ意思はあるが能力がないのか? 

答:神には意思はあります。しかし、人類たちに〜魂たちに好きなことをやらせてもいるということなのです。つまり、能力がな いのではなく、していないのです。
いや、していないように〜助けていないように、我々には見えるということなのです。

問:それなら神は全知全能とは言えないではないか。

答:問題は「時間」にあります。我々地球人が持っている時間軸と神の持っている時間の観念が違うということなのです。
だから 、神の助けの作業も緩慢に見えるのです。

また、神はわざとそのようにゆっくりとした救いをしているとも言えます。
それは、人類に学ばせるためです。

神の雛型は日常にあります。もし人間の親が子供たちを本当に愛していたら、親たちが神の雛型になります。親は子供を愛しているからといって、子供たちの我儘を何でも聞き入れるでしょうか? 
時には子供を叱りもするでしょう。

では子供が寝た切りで植物状態だったら、いたずらもしないし、楽だと思うでしょうか? いや、子供を愛する親は、子供たちが少々怪我をしてもいいから、腕白で自由奔放である方を望むでしょう。

それと同じことです。神も子供たち〜人類が自由でいることを望んでいるのです。無感覚で無反応であることを望んでいないということでもあります。

ただし、行き過ぎは望んでいません。では行き過ぎを神が管理したら良いのか? 
親は子供が行き過ぎた悪さをすると、叱ります。神が人類を叱る時は、病気や怪我という形で叱るのです。そして時間を隔てて、 来世にまで償わせるのです。

ここに人類の頭では理解できない時間の観念の差があるのです。

問:神に能力はあるが助ける意思はないのか

神の助けとは、人類の自由意思を尊重しながらの助けとなるのです。
つまり、神は人類に自由に行動することを許しているように 、人類が助けられたいかどうか、も尊重しているということなのです。

しかし、皆さんは言うでしょう。「当然助けられたいと思っている」と。
しかしそれでも神が「人類が助けを受け入れようとしている」と感知する基準が違うのです。

人間は窮地に陥ると助けを求めます。それは他の人間がもたらす悪意ある事かも知れないし、自然災害かもしれない。病気や怪我 かもしれない。

ここで考えて下さい。

子を愛する親がいるとします。しかし、子は何か酷い悪さをしました。放っておいたら子供は将来、邪悪な人間になってしまうか もしれません。
悪いことは悪いと反省させる必要がありそうです。
そのため親は心苦しいが、子を部屋に閉じ込めておくことにし ました。1時間くらいでしょうか。
しかし、子は中から助けを求めます。出してくれと。

親はすぐに子供の言う通りにするでしょうか。それは子供の悪さの加減によるかもしれません。よっぽど酷いことをした場合、すぐには許されないでしょう。

さて、人類が助けを求めるとします。しかし、それがその人間がしでかしたことの罰だったら? 
戦地で怒号が聞こえ、ある人が助けを求めていたとします。酷い怪我を負っていて神に救いを求めたとします。

普通は、「このような状態で助けが来ないのだから、神はいないのだ」と言うでしょう。
しかし、この人間が数百人もの人を惨殺した人だったらどうでしょう。
あなたは同情しますか? 「神はいないんだ」と思うでし ょうか。
「むしろ神がいるからこの人はこうなっているんだ」と思うことでしょう。
あなたがこの人に殺された被害者の身内だったら、尚のことです。

そして、神もこのようなのです。
つまり、人類というのは、多くの場合、この数百人殺した人間と同じようなものだということで
す。

しかし、あなたは「私は誰も殺していない」というでしょう。
そう、今生では。

問:助けないなら、神に悪意があることになるではないか

答:神は助けているのです。しかし、その人が数百人、数千人殺した人間だったら、どう助けるでしょう。簡単に無罪放免にすることが救いなのでしょうか。

上に、「神が、人類が助けを受け入れようとしていると感知する基準が違う」と書きましたが、それは〜
人間の言うところの「救い」とは、「人間が悩みから解放されること」「病気や怪我から解放されること」などです。

しかし、神の考える「救い」とは「人間が善良になること」「愛を持つこと」「強欲を手放し、謙虚になること」なのです。

ですから、人間が数百人殺したとしたら、その人がすぐに悩みから解放されるべきではないと神は判断するというわけなのです。

その人物はまず自分の邪悪さに気付いて、反省することから始めなければならないのです。
なぜなら、神が望むのは人が善になることであり、それが救いだからです。

ただし、神は人が肉体的にも精神的にも苦しむことは望んでいないことは言うまでもないことなのです。
ではなぜ、神は放っておくのか? 繰り返し言っているように、人間の方がそれを上回って邪悪だからなのです。

そして神は救いの手を差し伸べています。人間が善良になるようにと。それは聖書などの教えです。人間が善良になることが神にとって救いなのです。

そして善良な人間は難を免れるものなのです。それは人の悪の度合い、過去生で溜め込んだ悪の量にもよりますが、今生で善良になった者は少なくとも悪を続行しているより、凌ぎやすくなるはずなのです。

しかし、人類はその「救い」を受け入れません。
人類自らそれを拒絶しているのです。

「金持ちが神の国に入るのは、ラクダが針の穴を通り抜けるより難しい」と教えられているのに、ウォール・ストリートのビジネスマンたちは強欲を貪っています。

仏教で「煩悩を捨てよ」と教えられているのに、政治家は金のために国民を裏切り、庶民は姦淫に耽っています。

これは救いを拒絶している証拠です。

中東やアフリカでもムハンマドは、「怒りや欲と戦わねばならない(ジハードのこと)」と教えているのに、(一部のムスリムは平和主義だが)一部の原理主義(比喩を読み解かない者ら)の過激派がそれを戦争の理由にして、教えをむしろ暴力の口実に使うようになってしまっています。

イエスの教え

地獄に落ちた金持ちが「上の世界に残っている家族が無事であるように、預言者(モーセを)を遣わしてやってください」と神に頼んだ。しかし、神は「彼らには既に聖書がある。これに聞かない者は、モーセが来ても聞かない」と突っぱねた。

つまり、神の救いは「言葉」という形で既に人類にもたらされているのに、人類の方が拒絶しているということです。

問:意思も能力もあるなら、どこから悪がやってくるんだ?

神は存在します。天使も存在します。しかし、悪魔は人間の(魂の)心の状態のことを指し、実在しないものです。

そして「悪」とはそもそも何なのか? それは人間の作った概念なのです。

人間が「自分さえよければいい」と考えること、それが「悪」なのです。宇宙創造の原初に於いて、悪が始まったのはまさに、これでした。

他より先んじよう、他より優位に立とう、他をしのごう、というのが全ての悪の始まりでした。
反対に「愛」とは他を慈しもう、他を自分の如く大切にしよう、他を出し抜くことはするまい、という心のことなのです。

つまり、当初の「悪」はそのようなもので、それが現代でも行われているのです。

人間の引き起こす「悪」〜殺人、戦争、暴力、盗み、姦淫、強欲、騙し、などなどは全て以上の「悪」に集約することが出来ます。全ては自分中心主義が元になっているのです。

そしてその発生源は人間(魂)に他なりません。
では、「そもそも神が人間に邪悪さを持たせないようにしたらよかったじゃないか」、というでしょう。

しかし、先に述べたように、子を愛する親は、子が寝たきりの植物状態であることを望んでおらず、少々乱暴でも自由でいて欲しいということなのです。

では、「どうして乱暴者を取り締まらないのか」と問われれば、先に述べたように神と人間の時間の観念が違うから、取り締まりが緩慢に見えるということなのです。

問:神には意志も能力もないのか? 〜では、なぜ神と呼ぶんだ?

神には意思も能力もあります。しかし、人間には感知出来ないのです。理由は人間があまりにも小さいということと(物理的質量のことではない)、やはり時間の観念が違うからなのです。

たとえばセミ。セミは地中から出て一週間の命(近年では一か月の命という説も出て来た)です。今日見たセミが明日は死んでいるということもあるのです。
神が見る人間たちの命も同様なのです。

しかし、この時間のサイクルは人間の所作と神の意思が融合して、定められたものだったのです。

時間を圧縮して世界の歴史を見ると、神の視点から見ることが出来るようになるかもしれません。
1000万年前のアダムが数千歳の寿命があったのに比べ、数千年前のアトランティスでは120年に短縮されています。今はもっと。それは人類が常々堕落しているからです。

旧約聖書の創世記は人類の歴史を圧縮して見せています。
つまり、長い目で見れば、人類が愚かなことをして、使いが送られ、正され、それでも正されなかった者らが罰せられ、またそれを繰り返している情景が旧約聖書なのです。

それは神に意思があって能力があることを示しています。

エドガー・ケイシーの答え

『もし肉体や精神の病気を治したいなら、これまでのあなたの態度を改め、生命力が正常に働くようにせよ。3312−1』

言い換えるなら、もし神に救われたかったら、心の態度を改めよ、ということです。神に救いを求めならがどれだけの人がそれをしているでしょう。
つまり、性的に清くあろうとし、友人、隣人、家族に慈愛を尽くそうとしたり、他人をすら助けようとしたり、反対に誰かを虐げることを止め、金銭に強欲にならず、あらゆることに邪悪にならずにいる努力をしているでしょうか。

もし神を求めるならこれらをしてからにするべきです。そもそもこれらをすることが「神を求める」ことなのですから。

これまでの人類はこのようなことをせず、「神を求めていた」のです。
たとえば戦地で、自分は敵兵を殺しているのに、自分だけ神を求めるというのは矛盾しています。人を殺すということは、自身を殺せと神に言っているようなものだからです。

反対に、自分を救ってくれという訴えは、他人を救うことによって、神に届くということが永遠の真理なのです。





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